2017年8月17日木曜日

私的『マナ』考

マナというものがある。
旧約聖書に出てくる食べ物だ。

それは乳白色をしたグミのような食感の食べ物で
食べるとほんのり甘い。
けれども、明日も食べようと思って取っておくと
腐ってしまうものらしい。

グミは茱萸だろう。
『砂山』という歌に出てくる茱萸原は
茱萸が落ちている原っぱのことらしい。
現在、お菓子として販売されているグミも
ここから名前を取ったのではなかろうか。
茱萸っぽい食感のお菓子ですよ、と。

乳白色をした茱萸のような食感の食べ物で
食べるとほんのり甘い。
これは米を炊いたものではあるまいか。
米のデンプンは水を加えて炊くと糊化する。
この糊化することをα化という。

けれども、明日も食べようと思って取っておくと
『腐ってしまう』
つまり、変質するということだろう。
米を炊いてデンプンをα化させても
冷えればα化していたモノはβ化する。

ほんのり甘いのはアミラーゼやアミロペクチンを
唾液に含まれる酵素が分解した結果ブドウ糖が分離して
舌の表面にある味蕾の受容体と結合するから
甘いと感じるのだろう。

旧約聖書のモーセが活躍した時代はサランラップは無かった。
炊いた米からはどんどん水が蒸発し
一晩置いたら固くなって甘くは感じなかったのではあるまいか。

ここまで読んで
あれ?
いつも食べるご飯は甘くないけれど…
という方は、ごはんを土鍋や圧力釜で炊いてみるといい。
ついででいうなら、その時のご飯のお供は
無しで食べてみることをお勧めする。

まな板というものがある。
これはマナを作る時に使った板らしい。
まな板を使って何かするのだろうと想像してみると
クッキーの生地をまな板に乗せて薄く伸ばして
型を押すのを思い出した。
案外こういう使い方をしたのかもしれない。
つまり、炊いた米を練ってまな板の上で薄く伸ばして
型を押す。
もしくは適当な量を取ってまな板の上で潰したのかも?
でもって、これから連想できるのがお餅でした。
マナは、つきたてのお餅のようなもの
だったのではなかろうか。

まな板に関しては
真魚板と漢字を当てることもあるらしいので
魚を捌くための板なのではなかろうか
という話もあるらしい。

マナは甘露とも呼ばれるらしい。
ほんのり甘いからきているのではなかろうか。
甘露(カンロ)飴も、甘露のように甘い飴の意であろうし
甘露と呼ばれる醤油もあるようで
こちらは熟成を2年以上したものらしい。
寝かせている間にタンパク質が分解されて
糖質になった分が甘く感じるのではなかろうか。

神々の食べ物・飲み物がある。
桃源郷にあるのは桃。
ネクタルという神の酒。
不二家のネクターは、そこから名前をもらったもの。
(不二家って、富士山のように
不死から名前を取っているのでしょうかね?)
超自然的な赤ブドウ酒アムブロシア
林檎(黄金の林檎という話もある)
ザクロ(「食べたら引き返せない冥界の食べ物」として)
子供を食べたような味とも聞いたことがあります。
アムリタ。
ソーマ酒。
などがあるようです。
黄金の国ジパングは黄金色に輝く稲穂が
たくさんあるところなのかもですね。
ちょっと外れたら醍醐味の醍醐も、近いかもしれませんね。

マナの壺というものがある。
形としては、よく引き合いに出されるのは
大仙陵古墳の前方後円墳だ。

大仙陵古墳
→ https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E4%BB%99%E9%99%B5%E5%8F%A4%E5%A2%B3

前方後円墳は、前に方(□)、後ろに円(◯)の形の墳墓だ。
つまり



wikiの写真も◯を下にするようにずらしてみれば
取っ手が2つ、□と◯の付け根にあることが見て取れる。
つまり
 □
( )
 ◯

マナの壺は、イスラエルの三種の神器の一つらしい。
どうしてマナの壺というかというと
マナを入れて保管するための壺らしい。

壺という形状は大体


の形状のものが多い。
底が丸いと安定するのだろうと思う。
丸いと安定するっていうのは
原理は起き上がり小法師のようなものなんでしょうね。

起き上がり小法師
→ https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B5%B7%E3%81%8D%E4%B8%8A%E3%81%8C%E3%82%8A%E5%B0%8F%E6%B3%95%E5%B8%AB

傾けるとマナが取り出せるという話も聞く。
有限な空間から無限のものが出てくるのは
『打ち出の小槌』の話が思い出されるのだけれども
そんな不思議な力があるからこそ
ただの保管箱ではなくて
三種の神器の一つと数えられるものだったのではなかろうか。

マナという言葉に関して言えば
『真名』というものがある。
真名は文字通り真の名で
昔は本名とは別につける習慣があったそうな。
今ではその習慣はあまり残っていないのだそうな。

真名というのは、そうだなー…
魔術や言霊の類に属するものだけれども
漫画で分かりやすく取り上げた例があって
地獄先生ぬ〜べ〜に出てくる女主人公の京子さんが
真名を学友に知られてしまい…
というドタバタコメディで描いた話が出てくる。
他にも、ファンタジーでは
精霊やドラゴンなど力ある存在を御するのに
名前を与える、であったり、真名を奪う、であったりを
することがあるし
魔術を使う際の呪文詠唱の際に
力あるものの名前を織り込んで
自分の願いや、やってほしいことを織り込むらしい。
その一端としては、クトゥルフ神話に見られる
儀式の際の呪文詠唱だろう。

例えば、クトゥルフは強大な力あるものの名前を
日本語表記に直したものの1つにすぎない。
日本語表記だけでも『クトゥルー、ク・リトル・リトル、
クルウルウ、クスルー、トゥールー、チューリュー、九頭龍』
と、たくさんあるからだ。
これらは同じ一つの力ある存在を示すものだけれど
なぜたくさんの表記に分かれているかというと
人間の声帯では正確に発音できないから
という理由と
もし本当の名前を正確に発音してしまったら
力あるものを呼び起こし、力の片鱗でも顕現させてしまうから
という理由で名前を伏せるのだという。
じゃぁどの呼び方も嘘かというと
全ての要素が力あるものの真名に内包されているから
全てが正しいといえるだろう。

クトゥルフ
→ https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%88%E3%82%A5%E3%83%AB%E3%83%95

同じく、力あるものの神と言われるヤハウェも
同じ理由から真名を伏せられているのだろうと思う。

ヤハウェ
→ https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%83%8F%E3%82%A6%E3%82%A7

話は変わるが、日本語にはひらがなとカタカナがある。
ひらがなは平仮名
平易の平だと思うけれども
開く(ための)仮名や広い仮名、拾う(遺う)
という意味が隠されているのかもしれない。
カタカナは片仮名
片鱗や欠片を表すための文字だと思うけれど
固い,堅いという要素もあるのかもしれない。

個人的には、万葉仮名が気になる今日この頃。

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