どうすれば他人を羨まないようにすることができるのか
このことについて考えてみる。
『他人を羨まない』ということは
『他人を羨むことをしない』ということだ。
では『他人を羨むこと』とは、どういうことだろうか。
このことを考える際に何かしら役に立ちそうな記事を
以前書いていたようなのでリンクを貼ります。
◆私的『嫉妬』考
>A君が、B君がアイスクリームを食べているのを見て
>いいなぁボクも(あのB君のようにアイスクリームを)
>欲しい(そして食べたい)、と思うようなことである。
>A君は
>B君が食べていたアイスクリーム(1)を食べることが出来たので
>心理的にA君とB君は同じ位置にあるように一見見える。
>(A君=B君)
>しかし、A君にとって
>B君が自分より先にアイスクリーム(1)を食べたこと
>が気にくわない。
>A君にとってはまだ、A君<B君なのである。
>A君にとってはまだ、A君<B君なので
>別の形でB君に対して優位に立とうと
>無意識に思ってしまうのである。
このことから
A君にとって、心がまだ満たされていない状態なので
B君を羨むという状況が起こっていると読み取れそうだ。
つまり
『他人を羨む心の状態』=心がまだ満たされていない状態
ということだろう。
A君は、物理的に満たされている状態なのに
精神的に(心のどこかで)
まだ満たされていると感じられないことが
原因のように私には思える。
これは、例えるなら餓鬼のような状態だと言えるだろう。
餓鬼とは、概要
>俗に、生前に贅沢をした者が餓鬼道に落ちるとされているが、
>仏教の立場から正確にいえば、生前において強欲で嫉妬深く、
>物惜しく、常に貪りの心や行為をした人が
>死んで生まれ変わる世界とされる。
>しかし大乗仏教では、後々に死後に生まれ変わるだけではなく、
>今生においてそのような行状をする人の精神境涯をも
>指して言われるようになった。
>餓鬼は常に飢えと乾きに苦しみ、食物、また飲物でさえも
>手に取ると火に変わってしまうので、
>決して満たされることがないとされる。
>長期的な飢餓状態の人間が発症するクワシオルコルの特徴である、
>痩せ細って腹部のみが丸く膨れ上り、足の甲が浮腫んだ姿が
>描かれることが多い。
(wikipediaより)
精神的に(心のどこかで)
まだ満たされていると感じられないことが原因ならば
精神的に(心のどこかで)満たされていると
感じられるようになれば
『羨む』ということが起きないのではないだろうか。
精神的に満たされる、という状態は
不安がないという状態で
不安定という状態ではなく、安定という状態であり
完璧という状態であり、欠けがないという状態であろう。
つまり
『欠け』があるので
物理的にその『欠け』を補おうとするが
手に入れたものは探し求めている『欠け』ではないために
いくら物質的なものを手に入れても
『欠け』を補うことができないので
精神的に満たされることがない
のではないだろうか。
『欠け』が抽象的すぎて分かりにくい向きがあると思うので
身近な言葉に置き換えてみる。
『欠け』=『足りないもの』
つまり
『足りないもの』があるので
物理的にその『足りないもの』を補おうとするが
手に入れたものは探し求めている『足りないもの』ではないために
いくら物質的なものを手に入れても
『足りないもの』を補うことができないので
精神的に満たされることがない
のではないだろうか。
A君の心を満たすために『足りないもの』は何であろうか。
いくら物質的なものを手に入れても
『足りないもの』を補うことができないのならば
『足りないもの』は恐らく物質的なものではないだろう。
精神的に足りない、という言い方をすると
A君が、いかにも精神障害者のように聞こえてしまうので
この精神的飢餓状態を
『心が満たされない状態』と位置付けよう。
精神的飢餓状態を
『心が満たされない状態』と位置付けするもう一つの理由は
この精神的飢餓状態は、
よほど悟った人でないなら、ほぼ誰もが持っていることなので
精神的に足りない、という言い方をすると
この場にそぐわないからである。
一度、ここでまとめてみる。
『どうすれば他人を羨まないようにすることができるのか』
それは
『心が満たされた状態』になることで解決できそうだ
といえるだろう。
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