2017年8月11日金曜日

私的『なぜ無意識に自分と他人との違うところを探すのか』考

>心のどこかで ”あの人は自分達とは違うから” と
>違うところを探しては嫉妬したり、そこから嫌悪になったり
>さらに偏見や差別に発展するかもしれない。
>みんながみんな、聖人君子ではないのだから
>それは仕方がないのかもしれない。

今回も、ここに焦点を当てて考えていこうと思う。
『なぜ無意識に自分と他人との違うところを探すのか』

基本的には自己と無自己との判別をすること
が基になっているように思う。
おおまかにいうと
自分の持っている要素と
自分が持っていない要素がある時に
ここからここまで自分、ここから向こうは自分じゃない
とグループ分けをすることで
自己と無自己との判別をするように思う。

自分と同じ要素が多ければ多いほど
自分に近いように感じるだろうし
自分と同じ要素が少なければ少ないほど
自分とは遠いように感じるだろう。

要素は色々ある。
例えば、遺伝子の配列、虹彩の色、性別、癖、衛生度合い、など。
本当に、挙げればきりがない。

自分に近いように感じるなら、グループを作るかもしれない。
無意識でグループを作る場合もあるし
意識的にも実際にもグループを作る場合もあるだろう。
自分とは遠いように感じる人は、グループの外に置かれる。
例えば
口に出さなくても「あの人、なんか苦手なんだよね」と
無意識にグループの外に置く場合もあるし
「仲間に入れたくない」、「仲間に入れてあげない」と
意識的にも実際にもグループから外に置く場合もある。

さて、グループ分けは誰が決めるのだろうか。
リーダー?
それともグループを構成している個々人が
無意識あるいは意識的に「私はこっちに近いから」
と判断したり考えたりした結果なのだろうか。

グループのリーダーが変われば
グループを構成している要素も変わるので
結果的にグループのメンバーも変化するようだ。
明確なリーダーという位置が存在するグループなら
リーダーはグループの顔であり、指標を示すものだろう。
そのグループの構成員は
「なんとなく」無意識的にグループに入っていたり
「ここに入ればメリットがある」など
意識的にそのグループに入る人もいるだろう。

明確なリーダーという位置が存在しないグループの場合は
グループの顔であり明確な指標を示すリーダーが不在ということだ。
そのグループの構成員は
「なんとなく」無意識的にグループを作るのだろう。
ここには「ここに入ればメリットがある」などと考えて
意識的にそのグループに入る人はいないのではないだろうか。

しかしながら
明確なリーダーという位置が存在しないグループというのは
実際に存在するのだろうか。
明確なリーダーという位置が存在しないグループという定義付けは
もしかしたら適当でないのかもしれない。
なぜなら、
明確なリーダーという位置が存在しないグループというのは
グループとして扱うべきものではないかもしれないからだ。
グループというより、むしろ個々人。
個人個人がバラバラに動いている無秩序な状態と
考える方が適当のように思えるからである。

話を『なぜ無意識に自分と他人との違うところを探すのか』に戻すと
自分と同じ要素が多ければ多いほど
自分に近いように感じるだろうし
自分に近いように感じれば安心するのではないだろうか。
逆に
自分と同じ要素が少なければ少ないほど
自分とは遠いように感じるだろう。
自分とは遠いように感じれば感じるほど
不安に思うのではないだろうか。

分かりやすくいうと
「あの人私と同じ、一緒一緒」と安心するのではないだろうか。

仮に、不安に思うからこそ安心を求めるのが心の自然な流れなら
複数の人間がそこにいたらグループを形成する流れは
逆らえないような気さえする。

しかしながら、
グループから意図的に外された人ではなく
自らの意思でグループに属さない人もいるのだ。
不安に思うからこそ安心を求めるためにグループに入る人と
この人はどう違うのだろうか。
この人は、安心を求めるためにグループに入ること自体に
価値を見出していないのではないだろうか。
つまり、一人でいることを不安に思わないのである。

一人でいることを不安に思わないということは
自己を確立していると考えるのが私は適当のように思う。
自分はどのような存在であるかの定義を
自分なりに持っている人ということだ。
芯が強い人、と言ってもいいかもしれない。
だから他の人もいる集団に所属しなくても不安を覚えないのであろう。

では不安を覚える人は?
自己がまだ確立していない人という定義付けができそうだ。

『なぜ無意識に自分と他人との違うところを探すのか』
の解釈として
『その人、Aさんは ”自分はどのような存在であるか” が
まだ自分で分かっていないために不安を覚える
故に
安心感を求めるために
他の人から自分と同じ要素や
自分と違う要素を抽出して選別するために
無意識に自分と他人との違うところを探すのだ』
というのが最も適当のように
私には思われるのである。

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