2017年9月14日木曜日

ゲームという視点から見た共生関係+だらだらと愚痴+ディザイア

私は色んなゲームもして来たし、コーラスもやって来た。
TRPGもやって来たし、オフ会の主催もしてきた。
日本の社会にも所属して来たし、地球の構成員の1人でもある。
もちろんそれは太陽系銀河でもそうだし
そんな銀河を無数に内包する
大宇宙を構成する一つの生命体だとも言えると思う。

ゲームに例えを引こう。

ゲームは運営する人がいて
ユーザーは遊ぶ人だ。

ゲームがあるからユーザーはそのゲームで遊ぶわけだけれども
ゲームはユーザー無しでは成り立たない。

つまり
運営する人がいるからゲームという世界で遊ぶことができるけれど
遊ぶ人がいなければその世界は成り立たない。
成り立たないというか
機能しなくなって
ただ”その世界はそこにある”だけとなる。

誰も遊ばなくなったゲームは
そういう世界観のゲームが過去に存在していた
という過去の認識になるだけなのだ。

ゲームには、どんな形であれ「光」と「闇」が出てくる。
これは「善」と「悪」、「味方」と「敵」、「仲間」と「それ以外」
と言い換えても差し支えがない。

ゲームを構成する要素には対立する2つの概念が必要になる。
ゲームは世界だ。
つまり
世界を構成する要素には対立する2つの概念が必要になる。

ゲームで遊ぶ時
遊ぶ側は、大体の場合「光」側で
運営側は、大体の場合「闇」側だ。

人は、自分を肯定することが大好きだ。
だからゲームの中では「闇」である「敵」をやっつける。
やっつけるから『自分=光(正義)』という構図が成り立つ。

思い出して欲しい
『運営する人がいるからゲームという世界で遊ぶことができるけれど
 遊ぶ人がいなければその世界は成り立たない』のだ。
つまり
『「闇」があるから「光」が成り立つし
 「光」があるから「闇」が成り立つ』のだ。

ゲームという世界において
「闇」である運営は
「光」がどういう道筋を辿って
最終目標に到達させるかを常に考えている。

ゲームは娯楽である。
ゲームはエンターテイメントである。
つまり、ゲームという世界においての最終目標は
ユーザーをいかに楽しませることができるか
ということに尽きるだろう。

ゲームの運営側は、客を楽しませるためだったら
究極、なにをやっても許されるのだ。

もちろん、客がなにを求めているかも分からずに
なにをやっても許されるからといって
ユーザーの意に沿わない(=楽しめない)要素が増えてしまうと
客は楽しくないそのゲームをやめて
もっと客個人が楽しいと感じる魅力的な別のゲームを遊ぶのである。

ゲームの種類を問わなければ
ゲームというカテゴリーの娯楽は
本当に無数に存在するのである。

しかし、それではそのゲームの世界が成り立たなくなる。
誰も遊ばなくなったゲームは
そういう世界観のゲームが過去に存在していた
という過去の認識になるだけだからだ。

そんなゲームが過去にあったという認識すらも
そのうちに忘れ去られてしまうだろう。
そんなの、虚しいだけじゃないですか。

ゲームの運営側は、客を楽しませるためだったら
究極、なにをやっても許されるのだ。
しかし、究極目標である『客を楽しませる』ためには
”客がどんなことを望んでいるのか” を知る必要がある。
そのために運営は、それを知るための通路を作るのだ。
それが ”お問い合わせ” だったり
 ”意見・要望” という形として現れている。

そう、”お問い合わせ” や ”意見・要望” は
客から運営に自分の意見や要望を伝えるための道なのだ。

客は
自分はどうしたいか運営に意見を投げかける
運営は
その意見を考慮して実際のゲームに反映させる

その結果

客は
その反映に対して運営に意見を投げかける
運営は
その意見を考慮して実際のゲームに反映させる

以下はこれの繰り返しが延々と繰り返されることになる。
つまり、『反応の循環』なのだと思う。

この『反応の循環』が繰り返されることにより
そのゲームの世界は客にとって居心地が良いものとなり
運営は、より「客を楽しませることができる」ことが
できるようになる。

もちろん、結果はすぐに見えるものではない。
徐々に、だが確実に双方にとって望ましい状況になるように
『反応の循環』が好循環を始めるのだと思う。

もちろん、悪循環もある。
それは、どちらか片方でも我を無理に押し通したりすれば
悪循環に入ってしまいどんどん悪くなっていく。
そして、そのうち無理がきかなくなって
壊れてしまう。
”そのゲームの世界が成り立たなくなる” のだ。

ゲームの世界には「運営」と「客」がいる。
どちらが先にあるかを考えても
それは卵が先か、鶏が先かという話になってしまうだろう。
ともかく
『「運営」があるから「客」が成り立つし
 「客」があるから「運営」が成り立つ』のだ。
つまり
ゲームの世界では「運営」と「客」は共生関係にあると言えるだろう。

これは暴論であろうか?
私は、そうは思わない。

さて、世界には善と悪がある。
私は最近、宇宙人に興味があり、黙示録に興味があるし
陰謀論も興味深いと思っている。
脳と心の関係も面白いと思っているし
雲のことにも興味がある。
このとりとめのない広い興味が導く結論が、これだ。

大宇宙を構成する一つの生命体の中では
内包する全てのモノが共生関係にある。

これは暴論であろうか?
私は、そうは思わない。

だけれども、私がまだ現時点で許せないのは
いわゆる ”神” と名乗っている異星人たちが
人類に対して(究極は私に対して)
彼らが目指す最終目的を教えないことである。

彼らが示すのは
ほんの数年後に設定されている
異星人のための目標であって
それを地球人のためだと言って
わざと意識を外らせるようなことを言って
知っていて嘘をついて地球人を騙して
彼らが望む方向に持って行こうとしている。

彼らにとってみれば
地球人がまだまだ下等な存在だからという理由からだろうか。
それは、それはさ…
動物実験のラットに、いまから発癌性物質のテストをするからねって
言わなくてもいいんじゃね?的な感じがする。
もちろんラットに言葉を話しかけても聞こえるだろうけど
意味は理解できないでしょ
だから、言わなくてもいいよ
代わりはいっぱいいるんだし、的な。。

寿命は確かに人間は120年くらいしか生きられないけれど
異星人が考えるこうしょーな考えはおよびもつかないけどさ
教えてくれたっていいと思うんだ。
でないとさ、それって、不平等だと思うんだ。

平等か不平等か…
これは私の中で一番琴線に触れるテーマに違いないんだと思う。

異星人にとってみれば私は地球人の内のたった1人で
知能も低いしサイキックも使えない
かといって労働に従事しているわけでもない
生産性がない、使いようがないちっぽけな人間かもしれない。
でもさ、
それでも考えるんだよ。
考えたいんだよ。
目的がちゃんと理解できたらさ、あぁそうなんだって
死ぬにしても納得してから死にたいじゃないか。
他の人は違うかもしれないけれど
少なくとも私はそう想うんだよ。

可能なら目標と人類が新化した後のそれから辿る道筋を
順序立てて私が理解できるレベルまで基準を落として
教えてもらえると嬉しいなぁ。

ねぇ、バックドア使ってパソコンも盗聴や閲覧し放題なんでしょう?
家電もハッキングしてリモートして盗聴して盗み見るのも
やりほうだいなんでしょう?
月の距離を地球から離して地球の磁気の周波を
人間の脳波と同じに調整して思考をジャックして
乗っ取り放題なんでしょう?

だからさぁ、
知りたいんだよ。
目的がちゃんと理解できたらさ、あぁそうなんだって
死ぬにしても納得してから死にたいじゃないか。
他の人は違うかもしれないけれど
少なくとも私はそう想うんだよ。

可能なら目標と人類が新化した後のそれから辿る道筋を
順序立てて私が理解できるレベルまで基準を落として
教えてもらえると嬉しいなぁ。

そう、教えてもらえると嬉しいなぁ、と
私は想うんだよ。

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