2017年10月15日日曜日

『前出師表』現代意訳

少しばかり前から縁があって
孔明の前出師表が手に入ったので
現代語へ意訳していたのが完成したので載せておこう。

=====
臣下の亮が申し上げます。
先帝の劉玄徳様は、道半ばで亡くなられました。
天下の現状は、魏・呉・蜀の三国に分かれており
我が国の要である益州の者たちも士気が上がらない状態です。
これは本当に、この蜀という国家の重大な危機なのです。
そのような中にあっても
あなた様の身の回りの世話をする者たちは
変わらず誠意を持って仕事に励んでいます。
この国のためにと戦いに身を捧げる兵士達は
まさしく先帝の遺志を継ぎ、あなた様のためになりたいと
心から思っているのです。
ですから、今は亡き玄徳様がされてきたように
彼らの意見を広く聞き入れ、兵士達の士気が上がるような
政策を行うようにされてください。
そして、ご自身の弱点を探して嘆いたり
失敗を恐れるあまりに時代の趨勢を見誤り
それが原因で彼らのアドバイスを聞かない
ということが絶対に無いようになさってください。

宮廷と行政府とが一体となって
賞罰を正しく与えるようにされてください。
もし、たくらみを企て間違いを犯す人や
国にとって善いことや、忠節があり義をする人がいれば
必ず役人を通して、その刑罰や賞がどの程度であるかを話し合い
この事を通して、陛下が皆に平等で後ろ暗いところなどない
という事を、国民の誰が見ても分かるようにされてください。
決して、不公平をして法律を曲げる事をなさりませんように。

大臣の郭攸之(かく ゆうし)・費禕(ひ い)・董允(とう いん)ら
におきましては、素直ですが思慮に欠け
国に対する忠誠心が足りません。
劉備様は、彼らのような素直な人材を
あなた様の今後を支える人材として選ばれました。
私が思いますに…
政治のことは、物事の大小にこだわらず
全てを彼らに相談した後に実行に移せば
必ず、よく欠点や手落ちを補って
良い政治を行うことができるでしょう。

将軍の向寵(ほう ちょう)は善良で公平であり
軍事に関しては精通しております。
彼は十年ほど前に仕官した際に、その才能がお父上の目に止まり
また、軍や内政の皆で話し合って
彼に最高司令官となってもらったという経緯があります。
私が思いますに…
軍事関係のことについては事の大小を問わず
全て彼に意見を求めれば必ず、よく軍事を行い
不利益とならない場面で和を結び、蜀の利益となるでしょう。

我々は賢い人と距離を近くして親しみ、愚かな人を遠ざけています。
これは、お父上の祖先が漢の国を興された時のように
最上の政治のやり方なのです。

愚かな人と親しみ、賢い人を遠ざけた例は
後漢の時代に国が傾いた事に挙げられます。
これは、最も悪い政治のやり方なのです。

お父上が生きていらっしゃった頃に私と、この事を話し合う度に
お父上は必ず後漢の桓帝(かんてい)と霊帝のなさった政治に対して
非常に悲しく残念だと仰られていました。

先ほど挙げた3名の大臣の他にも
陳震(ちん しん)・張裔(ちょう しょう)・蒋琬(しょう えん)の
この3名はとても忠実で賢く、また節操がかたく心の朗らかな人です。
陛下が彼らと距離を親しくして信頼厚くされる事を
私は心より願っております。
そして、漢が栄えた時のように蜀が変わるのを
日、一日と数えて、待つだけでよいのです。

私は元々平民の出身でして
南陽という地で自ら畑を耕しておりましたが
乱世の時代に入りまして
周りの者は名を成そうと出世する中で
私は、それをしておりませんでした。
お父上は私の卑しい身分を問題になさる事なく
貴い身分でいらっしゃるのに
私の住んでいた粗末な家にお越しになり
三顧の礼をも尽くされました。

そして、私めに
「この乱世の世の中をどうすれば皆が心安らかに
暮らせるようにすることができるだろうか」
と、お聞きになったのです。
この出来事に私はとても感激しまして
お父上の許される限りにおいて
私も彼のためになろうと心に決めて、今日に至っております。
そして、長板での引き際にお父上から役目を授かって呉へ赴き
孫権を説得致しました。
これが私の初陣です。

その日から、かれこれ21年が経ちました。
お父上は、私が彼をどれほどお慕いし
また、身を尽くしていたのかも、ご存知だったのでしょうね。
だからこそ崩御される直前に私めを側に寄せられて
あなた様の補佐を私に託されました。

その命を受けてからこれまで
私は朝に晩にと、お父上が託された大事を
お父上が望まれていたように私ができているだろうか
力不足ではありはしまいか、と思い悩みました。
それは、引いてはお父上の名誉を傷つけることとなるからです。

ですので、建興(けんこう)3年5月に
瀘水(ろすい)を渡って南蛮へと赴きました。
そして、かつて南蛮と言われた地も
蜀の一部として地勢としても安定しており
兵も軍備も兵糧も、万端に整っております。

今、まさに三軍に令を発し
北に位置する魏の中原地方を平定すべき好機です。
叶うならば、愚かで姑息な曹一族を一掃し
これを機に、お父上や皆の悲願である漢室を復興し
あなた様のご先祖様がいらっしゃっていた
あの長安や洛陽(らくよう)に還りましょう。
これは、あなたのお父上の悲願であり
私があなたのお父上から託された蜀の一大事業なのです。

国にとっての損得を秤にかけ
あなた様を今までも、またこれからも様々な方面から諌めるのは
先に挙げた攸之(ゆうし)・禕(い)・允(いん)の役割です。
もし私の願いが叶うなら、あなた様には是非
賊を討ち、漢室の復興という大仕事を私めにお任じ頂きたい。
成果が無ければ、私の罪をお父上に報告してください。
もし、私の進言通りに政治を行っても国が良く治らないようであれば
どうぞ攸之・禕・允の怠慢を責めて
その罪を明らかにされてください。

あなた様もまた、きちんとご自分でも
うまく国を治めることが出来ているかを確かめつつ
よりよく治めるにはどうすればよいかの方法をいろんな人に聞いて
その上で、よいと思う意見があったらきちんと取り入れ
お父上の遺言を守られるようにしなくてはなりません。

私は、あなた様を見る度にお父上のことを思い出し
お父上の、今まで私へ掛けられたお言葉の数々や
その、お心を想い出す度に
今この瞬間でさえも、とても強く心が動かされ続けています。
しかし、もう行かなければなりません。
この手紙を書くにあたって、涙がこぼれ
もう、これ以上何か書くことも出来そうにありません。

0 件のコメント:

コメントを投稿