2017年8月19日土曜日

プレイング『街に泳ぐ魚』

●プレイング(394/400文字)

青和さんと同行希望
「屋上に登ってみるのはどうでしょうか」

希望する街に泳ぐ魚は、鰯の群
気付かれないようそっと鑑賞する
「見て、あんなに群れている」
まるでたくさんの星がすばっているようにも想えて
しばしうっとりと動きに見入っている

我に返って可能なら気を取り直してから戦闘開始

やはり人に害を与えるものならば、いくら幻想的で綺麗なモノでも
灼滅者として、立ち向かわねばならないでしょう
切ないけれど、それは仕方がないことなのです

私は中衛:キャスター
まず他に魚影があるかどうかの確認をします
ディーヴァズメロディと縛霊撃で鰯の群に臨みます
「行きましょう」

ナノナノ 「アウリン」 は後衛:メディック
「サポートをお願いね」
ふわふわハートをメインで基本あとは待機します

戦闘後
早めに戦闘が終わるようなら他班の援護に向かう
ナノナノを抱き寄せて怪我がないか確認してから
「ふふ、青和さん、それにくろ丸さんもお疲れ様でした」

●パフォーマンス(199/200文字)

同行希望者やリプレイの都合で
私が同行を希望している方と同行できなくても問題ありません。
実際に遭遇する街に泳ぐ魚が希望と違っても問題ありません。

「もうすぐ新月なんですね」
猫の爪のような月を恭しく眺める

スレイヤーカードをポシェットから取り出し
”封印を解除”する

ディーヴァズメロディで眠らせるイメージ
縛霊撃で群に網を放つイメージ

ディーヴァズメロディは
静かで深くて豊かな海の潮のような曲をイメージしています

2017年8月18日金曜日

私的『まもるくん』考

谷山浩子さんの『まもるくん』という歌がある。
最初意味も分からず
とりあえずメロディーだけ歌えるようにはなっていたのですが
なんとなく気になってwebで調べてみたら

「マ」ナー
「モ」ラル
「ル」ール

で、まもるくんなんじゃなかろうかという話があるみたいです。
当てはめてみたらわぁ…と思うような内容になったんですよね。
なので、とりあえず今回歌ってみた、してみました。

で、なんかキーワードっぽいのが幾つかあるみたいなんですが
まず、ダリア。

ダリアの花言葉は、6つくらいあるそうです。

【1】良い意味の花言葉 華麗
【2】良い意味の花言葉 優雅
【3】使いやすい花言葉 感謝
【4】使ってはダメな花言葉 裏切り
【5】使ってはダメな花言葉 移り気
【6】皇帝ダリアの花言葉 乙女の真心
(「情報サイト誕プレ」より)

さて、ダリアのような顔があるそうです。
どの花言葉が当てはまるのでしょうね。

私の解釈では、キノコは傘状の〜という意味かなと
単純に思っています。
まぁ、わさわさ胞子が降るようでもありますがね。

まもる君は、伸びて
まもる君は、ゆるいんでしょう。
グレーゾーンとか、ダブルスタンダードっていうやつでしょうかね。

で、麦わら山脈をそのままwebで調べても出ないので
英語のストローマウンテンにしてみたら
ストローマウンテンハットという帽子が出てきました。
最初は地名か山の名称かなと思ったのですが
帽子が出てきて意外でした。
麦わら素材の頭頂部が山波のようになっている帽子が
基本のようですね。
基本がそこらしくて、麦わら素材でなくてもその形状があれば
ストローマウンテンハットと呼ぶようです。
で、連想がふと飛んで、有名な政治家さんがいたなぁと思い出して
webで検索をかけてみたら画像が出てきました。

直接の関連があるのかは、今のところは一応不明。
ただ、気になるのは
その政治家の方がレプティリアンだろう
という話があることですね。

ちなみに、『まもるくん』は『フィンランドはどこですか?』
というアルバムに収録されている。
2007年にリリースされたのだという。

さて、真偽のほどは…?

私的『こころをひらく』考

嫉妬もない、諍いのない世界にするためには
どうしたらいいのだろうか。
シンプルにいうと
『全ての人が心を開く』と達成できるように思う。

一人が心を開けば、その人と接している人も心をひらくだろう。
時間がかかっても、全ての人に伝播すれば
調和のとれた世界になるように思う。

キリストも言っていますよね。
「汝の隣人を愛せよ」

心を開くというのは、言葉で表すとシンプルだけれども
実際に実行するのは難しかったりする。
なぜなら、不安だから。

不安の原因がどこにあるのか
一見して複雑に見える不安なモヤモヤも分解して整理してみると
いくつかの原因があった、ということがわかるでしょう。

原因を解消するにはどうすればいいかを
自分なりに考え、自分で決めたやり方で解消方法を探りましょう。
時には失敗することもありますが
その時は、解消方法がこれで良かったのかどうかを
考え直してみると良いかも。

心を開くのは
全て開けっ広げというわけではないと私は考えています。
自分の心を守るために
防御用のフィルターはあったほうがいいと思います。
そうでなければ、自分の心というパソコンは
インターネットに繋いだら最後
あらゆるウイルスに攻撃されて壊れてしまうでしょう。
防御用のフィルターは、例えるならセキュリティソフトでしょう。

自分の心を開くための手がかりとしては
自分の心の声に耳を傾けてみる
自分の体と心の声に素直になってみる
というのがあるかと思います。

『全ては自分の御心のままに…』

私的『神という存在の認知』考

キリスト教には神話がない。
神話がない代わりにあるものは奇跡というエピソードだ。

比べてギリシア神話をみてみると神々は
欠点があり、時には失敗もし
実に人間臭く描かれている。
ギリシア神話の神々は、なぜ人間臭く描かれているのだろうか。

思うに、神という存在を人間臭く印象付けることで
人間が似た事例に出会った時に
その神の存在を思い出すための仕掛けなのではないだろうか。

神という存在は肉体がないのでこれと決まった寿命はない。
ただ、人間に存在を忘れ去られては
神という存在意義が無くなってしまうため
霊性や使える力が限られたものとなったり
存在自体が消滅してしまう可能性がありそうだ。

例えるなら木のようなもので
木に寿命は基本的にはないのだという。
木の寿命は生えた場所の環境に依存する。
どれくらい水・養分を得られるか
どのくらい枝や根、幹を伸長する空間があるのか
風や雷など気象条件にも左右されるだろうし
他の生物からの侵食状況も考慮する必要がありそうだ。
環境が変われば街路樹と屋久杉くらい変わるものなのだ。

つまり、ギリシア神話における神という存在は
自らの霊性や使える力を維持するために
人間臭い部分をいくつも表に出すことで
人間に親近感を持ってもらい
折に触れて思い出してもらうことで
信仰心や心のどこかで存在を留めていてもらうという形で
自身の存在を繋ぎ止めているようなものだと思うのだ。

キリスト教には神話がない。
キリスト教には人間臭さもない。
ギリシア神話との大きな違いは一神教か多神教かの違いである。
多神教の場合は神々の間にエピソードを設けることで
それぞれの神に対して個性をつけることが可能だろう。
それに対して一神教では
一人の神しかいないのだから
一人で全てを賄わなければならない。
つまり、超人で、かつ完璧であることが求められるのだ。
物語としても、主人公である神の独壇場なので
大衆文学に比べれば、味も素っ気もないと人間は感じるだろう。

そこで『奇跡』というエピソードが登場する。
神は奇跡という、常識ではあり得ない素晴らしい力を用いて
人々に恵みを、時には災いをもたらす。
祝いは、立場が変われば呪いとなることもあるのだ。

キリストは奇跡を用いて人々から信仰を集め
霊性も上がっていったのではなかろうか。

つなり何が言いたいのかというと
自分が信じるモノがなんであれ
本当に存在するんだと強く想うことで
その存在は存在感を増して
本当に存在できるようになるのではないか、ということである。

2017年8月17日木曜日

私的『マナ』考

マナというものがある。
旧約聖書に出てくる食べ物だ。

それは乳白色をしたグミのような食感の食べ物で
食べるとほんのり甘い。
けれども、明日も食べようと思って取っておくと
腐ってしまうものらしい。

グミは茱萸だろう。
『砂山』という歌に出てくる茱萸原は
茱萸が落ちている原っぱのことらしい。
現在、お菓子として販売されているグミも
ここから名前を取ったのではなかろうか。
茱萸っぽい食感のお菓子ですよ、と。

乳白色をした茱萸のような食感の食べ物で
食べるとほんのり甘い。
これは米を炊いたものではあるまいか。
米のデンプンは水を加えて炊くと糊化する。
この糊化することをα化という。

けれども、明日も食べようと思って取っておくと
『腐ってしまう』
つまり、変質するということだろう。
米を炊いてデンプンをα化させても
冷えればα化していたモノはβ化する。

ほんのり甘いのはアミラーゼやアミロペクチンを
唾液に含まれる酵素が分解した結果ブドウ糖が分離して
舌の表面にある味蕾の受容体と結合するから
甘いと感じるのだろう。

旧約聖書のモーセが活躍した時代はサランラップは無かった。
炊いた米からはどんどん水が蒸発し
一晩置いたら固くなって甘くは感じなかったのではあるまいか。

ここまで読んで
あれ?
いつも食べるご飯は甘くないけれど…
という方は、ごはんを土鍋や圧力釜で炊いてみるといい。
ついででいうなら、その時のご飯のお供は
無しで食べてみることをお勧めする。

まな板というものがある。
これはマナを作る時に使った板らしい。
まな板を使って何かするのだろうと想像してみると
クッキーの生地をまな板に乗せて薄く伸ばして
型を押すのを思い出した。
案外こういう使い方をしたのかもしれない。
つまり、炊いた米を練ってまな板の上で薄く伸ばして
型を押す。
もしくは適当な量を取ってまな板の上で潰したのかも?
でもって、これから連想できるのがお餅でした。
マナは、つきたてのお餅のようなもの
だったのではなかろうか。

まな板に関しては
真魚板と漢字を当てることもあるらしいので
魚を捌くための板なのではなかろうか
という話もあるらしい。

マナは甘露とも呼ばれるらしい。
ほんのり甘いからきているのではなかろうか。
甘露(カンロ)飴も、甘露のように甘い飴の意であろうし
甘露と呼ばれる醤油もあるようで
こちらは熟成を2年以上したものらしい。
寝かせている間にタンパク質が分解されて
糖質になった分が甘く感じるのではなかろうか。

神々の食べ物・飲み物がある。
桃源郷にあるのは桃。
ネクタルという神の酒。
不二家のネクターは、そこから名前をもらったもの。
(不二家って、富士山のように
不死から名前を取っているのでしょうかね?)
超自然的な赤ブドウ酒アムブロシア
林檎(黄金の林檎という話もある)
ザクロ(「食べたら引き返せない冥界の食べ物」として)
子供を食べたような味とも聞いたことがあります。
アムリタ。
ソーマ酒。
などがあるようです。
黄金の国ジパングは黄金色に輝く稲穂が
たくさんあるところなのかもですね。
ちょっと外れたら醍醐味の醍醐も、近いかもしれませんね。

マナの壺というものがある。
形としては、よく引き合いに出されるのは
大仙陵古墳の前方後円墳だ。

大仙陵古墳
→ https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E4%BB%99%E9%99%B5%E5%8F%A4%E5%A2%B3

前方後円墳は、前に方(□)、後ろに円(◯)の形の墳墓だ。
つまり



wikiの写真も◯を下にするようにずらしてみれば
取っ手が2つ、□と◯の付け根にあることが見て取れる。
つまり
 □
( )
 ◯

マナの壺は、イスラエルの三種の神器の一つらしい。
どうしてマナの壺というかというと
マナを入れて保管するための壺らしい。

壺という形状は大体


の形状のものが多い。
底が丸いと安定するのだろうと思う。
丸いと安定するっていうのは
原理は起き上がり小法師のようなものなんでしょうね。

起き上がり小法師
→ https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B5%B7%E3%81%8D%E4%B8%8A%E3%81%8C%E3%82%8A%E5%B0%8F%E6%B3%95%E5%B8%AB

傾けるとマナが取り出せるという話も聞く。
有限な空間から無限のものが出てくるのは
『打ち出の小槌』の話が思い出されるのだけれども
そんな不思議な力があるからこそ
ただの保管箱ではなくて
三種の神器の一つと数えられるものだったのではなかろうか。

マナという言葉に関して言えば
『真名』というものがある。
真名は文字通り真の名で
昔は本名とは別につける習慣があったそうな。
今ではその習慣はあまり残っていないのだそうな。

真名というのは、そうだなー…
魔術や言霊の類に属するものだけれども
漫画で分かりやすく取り上げた例があって
地獄先生ぬ〜べ〜に出てくる女主人公の京子さんが
真名を学友に知られてしまい…
というドタバタコメディで描いた話が出てくる。
他にも、ファンタジーでは
精霊やドラゴンなど力ある存在を御するのに
名前を与える、であったり、真名を奪う、であったりを
することがあるし
魔術を使う際の呪文詠唱の際に
力あるものの名前を織り込んで
自分の願いや、やってほしいことを織り込むらしい。
その一端としては、クトゥルフ神話に見られる
儀式の際の呪文詠唱だろう。

例えば、クトゥルフは強大な力あるものの名前を
日本語表記に直したものの1つにすぎない。
日本語表記だけでも『クトゥルー、ク・リトル・リトル、
クルウルウ、クスルー、トゥールー、チューリュー、九頭龍』
と、たくさんあるからだ。
これらは同じ一つの力ある存在を示すものだけれど
なぜたくさんの表記に分かれているかというと
人間の声帯では正確に発音できないから
という理由と
もし本当の名前を正確に発音してしまったら
力あるものを呼び起こし、力の片鱗でも顕現させてしまうから
という理由で名前を伏せるのだという。
じゃぁどの呼び方も嘘かというと
全ての要素が力あるものの真名に内包されているから
全てが正しいといえるだろう。

クトゥルフ
→ https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%88%E3%82%A5%E3%83%AB%E3%83%95

同じく、力あるものの神と言われるヤハウェも
同じ理由から真名を伏せられているのだろうと思う。

ヤハウェ
→ https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%83%8F%E3%82%A6%E3%82%A7

話は変わるが、日本語にはひらがなとカタカナがある。
ひらがなは平仮名
平易の平だと思うけれども
開く(ための)仮名や広い仮名、拾う(遺う)
という意味が隠されているのかもしれない。
カタカナは片仮名
片鱗や欠片を表すための文字だと思うけれど
固い,堅いという要素もあるのかもしれない。

個人的には、万葉仮名が気になる今日この頃。

2017年8月16日水曜日

私的『アセンションの意味』考

どうしてアセンションをする必要があるのだろうか。

アセンション=次元上昇

次元上昇をするということは
肉体がある物質次元である3次元から
上の次元に行くということだろう。
つまり上の次元は物質次元ではないので
肉体はないのかもしれない。

例えば、コーザル界という幾次元かの位置にあるところでは
今の私たちでいう肉体はコーザル体
と呼ばれるえーと…
例えるならオーラとか、魂とかの
見えないけど確かに存在するような
魂の容れ物のようなもので肉体的なものが存在するらしい。
科学的な視点で持って見ると
3次元の肉体以外は全てプラズマ生命体という形で
ひっくるめることが可能みたいです。

その科学的な視点では
神や悪魔、仏や異星人、地球や太陽も
プラズマ生命体くくりで説明できるそうです。

別のHPからの話では
物質の本質は目に見えない光で
(目に見えない光なのでそのものが持つエネルギーは弱い)
例えば原子を構成する陽電子や電子
それを構成するニュートリノやヒッグス粒子などの素粒子
この素粒子を構成する微細なエネルギーがあり
その微細なエネルギーを
さらに構成するさらに微細なエネルギーがあって…
というように
この微細なエネルギーの入れ子構造が49次元ある
という話もある。

話を戻して現代でアセンションをする意味を求めるなら

1)地球が壊れかかっているため
というのと
2)人類を太陽の向こう側にあるもう1つの地球に移動させるため
というのと
3)金や希少鉱物を採掘させるために創った地球人を
 別の惑星でもマンパワーとして再利用するため
というのと
4)肉体を持ったまま次元上昇をすれば
 どうなるかを検証する壮大な実験のため
というのと
5)意図的に勢力分けした異星人らによる
 地球資源(人間、魂、鉱物)争奪戦や
 勢力争いのため

この辺が考えられそうだ。
この5つの理由は
それぞれを切り離しても考えることもできるけれど
多分全部繋がっているんじゃないかなぁとぼんやり思う。

それを ”神” が意図してやっているのか
それともさらに上の存在(例えば”宇宙の意思”)がいて
その意向でやっているのかは、私の知る範囲では未だ不明。

不明なんだけどさ、こう…
やっぱりさ
ちっぽけな人間にはこの思考は理解できないだろうからって
そういう理由で「ただ従えばいいんだ」とかいうのって
フェアじゃないと思うんだ。
人間は神にとったら
そりゃぁ羊のようなものかもしれないけどさ
それでもやっぱりそれってさ
対等じゃないと思うんだよね。

思考まとめ『アセンション』

今度、アセンションというのがあるらしい。
私もつい最近まで全く興味がない事柄だったのだけれども
急ごしらえでwebの知識をかき集めるとおぼろげな像が見えて来た。

普通、こう、私たちが暮らしている世界は
物質次元と呼ばれていて、3次元世界と言われているところらしい。

ちなみに、一般的に認識されている
漫画やアニメの平面になる2次元
その平面を立体化させたフィギュアや
ポリゴン技術なんかを3次元化といったりするのですが
これとは基本的な概念が違うものらしいので
そこはごっちゃにはしないほうがいいかもです。
一般的な認識では、立体の3次元に時間軸を足したものを
4次元といいますが
物質次元と言われている3次元世界では
時間軸を直線に認識するらしいです。
確かに私たちは時間っていうのは
『過去→現在→未来』
と一直線的に進むものだと認識していますが
もしかすると別の次元では、
あー…
例えばメビウスリングのように
もしくはウロボロスのように廻っているものなのかもしれませんね。

で、今度の旧暦の夏至の日に
丁度皆既日食がアメリカ大陸を横断するらしくて
かなり大きなイベントみたいですね。

今は太陽歴がメインで使われているのですが
昔は太陰暦を使っていました。
太陰暦は、月の満ち欠けを基準に1年を数える方法です。
新月→満月→新月
これが1サイクル。
夏至は四節季の1つなので新月で、かつ日本でいう夏
つまり、太陽が一番長い時間北半球にある日にあたります。

天文学のイベントの時は、インカとかマヤとかの昔から
何かが起こる的な神秘学に近い考え方がされて来ました。
現代でも、それはあって
いや、あるというか…実在しているらしいです。
ぶっちゃけて言うと、地球と宇宙の間のゲートが開く日らしいんです。
ゲートは門ね。
物質的な門じゃなくて
エーテルの…
(↑ゲームのファイナルファンタジーシリーズを知ってる人向け)
えっと、一般向けな単語に直すと…
エナジー,エネルギー,パワー,フォース,魔力
とか、この辺の単語に置き換えると理解しやすいかもです。

物理学な視点でいえばプラズマフィラメントが
地球のごく近くに接近するというのが案外的を射ているかもしれない。
このプラズマフィラメントはエーテルの通り道。
だから、この皆既日食の時間の間は
南極から地底人がヒャッハーと
宇宙に飛び出すチャンスだったりするらしいです。

で、エーテルの通り道ができるので
宇宙→プラズマフィラメント→人間→地球

宇宙←プラズマフィラメント←人間←地球
みたいなエーテルの大きな流れができるらしいです。

ちなみに恐らく今回できるゲートは
規模的にスーパーゲートだと思われる。
太陽系銀河の遠くにあるプラズマフィラメントが
張り巡らされている地帯があるんだけれど
プラズマフィラメントの流れに乗ることで
インターネットのインターネット網を情報がやり取りできるように
エーテルやプラズマ生命体は行き来できるらしい。

バシャールさんの話を聞くと
『最後の肉体を12次元のバリアを超えた世界まで連れて行く』
らしいです。
12次元のバリアを超えた世界=13次元
だと思われます。
最後の肉体という言葉から、今生きている肉体が
人類の最後の肉体らしいという風に想像ができます。

13次元の説明を2箇所で見かけたので
簡単にまとめてみる。

・最後でもあり、最初でもある次元
 13次元の世界で全てが整えられて
 磁気的な回路を通って1次元に行く

・冥王星:完全なる覚醒・自由のステージ
 たくさんの人を巻き込んで瞬間を大きくしていくことで
 自分もみんなも自由になっていく

捉え方は人それぞれなんだろう。
エーテル層は9次元時空まであって…と言っておられる方もいます。
この方の話では、一番上の9次元時空は魂そのものだそうです。

13次元に分けてある説明のあるHPをみると
通常、肉体を持った状態で行けるのは9次元まで
と言う旨のことが書いてあったりしました。
この方の解釈でいうと、今回のアセンションでは
最終的に9次元の周波数帯で共振することを
ガイアは意図しているらしいとのこと。

別のHPでは、
身体を持ったままアセンションするのは
前代未聞の未知体験に突入することになるので〜のような感じで
書かれていました。

参考になるかどうかはわからないけれど
人は悟ると超人になる
この『超人=アデプト』という説明をされているHPも
ありました。

まだまだ私もにわかにアセンションについて
一体どういったものなのか勉強中なのですが
今私が持っている知識の中で総合的に考えると…

覚醒した人間が自身の周波数を上げることで地球と共振して
プラズマフィラメントからスーパーゲートを開く。
んで、
北極からせり出す地球の核(コア)
(惑星アルザルやシャンドラと呼ばれる)
に一旦移動して
1つに定まった『太陽黒点2670(ブラックホール)』を超えて
”太陽の向こう” にある新しい地球に行く。
ということらしい。

その時に肉体があるのかどうかは、不明。
もしかしたら死ぬかもしれないし
死なないかもしれない。
いくつもHPを見ているけれども、みなさん
かなり前向きに捉えている方が多い印象でした。
それが信仰の力によるものならばすごいなぁと思うわけで
私はどうしたらいいんだろう
どうしたいんだろうと心に問いかけても
まだ答えてくれないようなので多分ギリギリまで
自分はどうしたいのか、考えることになると思う。

ゲートが開く22日未明までは、もう少し…。

私的『魂が宿る瞬間』考

魂が宿る瞬間。
人が生まれて来て、魂が宿る瞬間は、いつだろう。

達磨の人形がある。
達磨和尚という人物がモチーフになっているらしい。
あの、鬢辺りの柄のモチーフは、鶴と亀らしい。
そのあたりの雑学はうっちゃいで。(笑)

買ったばかりの達磨には目がない。
買い漁りたいんじゃなくて、目にあたる黒色の部分(眼)が
わざと描いてないのだ。
私は、とある進学塾の近くを通る時に達磨を見かけるのだが
片目だけ入れてある。もう片方は白目なのだ。
いつ塗るのか、というと
その達磨の持ち主が志望校に合格した時だったりする。
目標を達成した時や、何かが完成した時に
眼を描き入れられて、達磨は完成する。

奈良の大仏様がいらっしゃる。
あちらは仏教だけれども、完成の式の時に開眼といって
大仏様に眼を描き(彫り)入れた。
大仏様も達磨の人形も要は同じなのだ。

古くから日本には物には魂が宿るという考え方がある。
だから奈良の大仏様を銅や木から造って
『奈良の大仏様』として完成させる時に眼を入れて開眼させた。
達磨人形も、実際に形としては物として残らない
志望校合格という目的が完成したということを
達磨人形に眼を入れることで『完成した』ことを
記念に残す目的で使われている。

もうひとつ喩え話を持ってこよう。
『画竜点睛を欠く』ということばがある。
多分中国の話だったと思うが、水墨画の達人がいて
龍を描いたのだという。
でも絵を見たら、この龍、まだ眼が描かれていない。
なんだ、まだ未完成じゃないか、と周りが言うと
絵師は龍の絵に眼を書き足した。
すると龍がするりと絵から抜け出し
空へと昇っていってしまった。
と言うような話がある。
これは、眼を入れていない状態だから
龍にまだ魂が宿っていないので
絵として留めていることが出来たのだ
と言う不思議なお話である。

完成した時に眼を入れるのと
眼を入れた時に完成するのと
同じ現象ではないだろうか。
あえてケチをつけるなら、卵が先か鶏が先か…。

もし、眼を入れた時に完成し、魂が宿るとするならば
人が生まれて来て、魂が宿る瞬間は、いつだろう。
赤子の眼が開いた瞬間ではあるまいか。

2017年8月15日火曜日

お米な話

稲荷神社のおいなりさん。
あれは、稲荷=稲成らしい。
つまり、お米がたくさんなりますように、ということだ。

日本人の主食は、相変わらず米である。
米ができるには、ものすごい量の水が必要なものらしい。
実際に農業をしたことがないからただの知識なんだけれども
とにかくたくさんの水がいるから田に水を引いて
集落全体で水の奪い合いが起こらないように
いろいろ工夫をしたりしていたらしい。

今住んでいる家の近くには水を分けるための水路が残っていたりする。
この土地は農業が盛んで、住宅地のすぐ近くにも
現役の水田が未だ残っているのだ。
その水路が農業用水を均等に分けるために作られたのだと
私は推測するけれども
その推測で特に無理があるようには感じられない。

米は、栄養学の観点からゆる〜く見ると
アミラーゼとアミロペクチンが主な栄養素になるらしい。
欧米で主食になっている小麦に比べても
calは高いらしい。

炊いてみる。
ぱさぱさしている小麦にくらべて米はもっちりしている。
噛んでいるとほんのり甘く感じる。
唾液が反応して素早く分解し、ブドウ糖に変わるからだ。

ドーナツでポンデリングのもちもち食感が根強い人気なのは
もちもち食感だからだ。
日本人がもちもち食感を好きなのは
米を食べた時のもちもち食感を体が覚えているからだろう。
もちもち食感の正体は、アミロペクチンだ。
アミラーゼよりも、たくさんのブドウ糖が構造上含まれているので
より絡まってもちもちする。
ブドウ糖が多いほど体は栄養価が高いと判断するので
もちもちが好きなんだと思う。

農協が腐っているとTVは言うけれど
農協は実は米農家を守って来た。
米農家を海外の安い穀物の輸入競争から守って来たのだ。
水が潤沢に使うことができる水の国だから米ができるのだ。
安いからといって、またお洒落だからといって
ポストハーベストと共に輸入された小麦を食べる必要は
あまりないように感じられる今日この頃。

米は必要ですよ。
農協は、壊しちゃダメ。
壊すより、もっといい方向にしないとね。
それから減反と、住宅地に変えるのもどうかと思う。
食料自給率が今でさえ低いのに
それを削っては世界から孤立した時に
日本は生きていけなくなるから。

日本はもうすぐ世界から孤立する予定がある。
経済的にも情勢的にも環境的にもそうだ。

環境的には
赤道付近では海が干上がり
海水は、北と南の極を目指す。
何かの予言みたいでしょ?
なんのことはない
地球の自転が遅れているために
遠心力で赤道付近に集められていた海水が
『地球全体に均一化するだけ』の話だ。

大きな変化があるから、それをごまかすために戦争が起きる。
次に起るのは多分、第三次世界大戦だよね。
で、世界恐慌でお金もパァ。
経済は大混乱、情勢も大混乱。

そんな時に日本がいくらお金を積んでも食料は入ってこない。
どうしてって?
どこの国も自分の国民を守ることで精一杯なのに
他の国の面倒なんか見られるわけないじゃないですか。
お金を積もうにもそのお金
ただの紙切れになっていますから。

ちなみにメジャーな姓の鈴木さん。
どうして鈴木っていうか、知っていますか。
鈴のように実が成る木(植物)が日本にはあるんですよ。
一応、葡萄じゃないですよ。
稲です。
想像できなかった人は、5円玉の表を見てみよう。

この記事にオチを付けるならそうだなぁ…
あなたにご縁(5円)がありますように、あたりかな。(笑)


四拍手

お盆で実家に帰ったりした際に興味深い話を聞けたりした。
何故このアセッション間近のこの時期に
と個人的に疑問に思うのだけれども
もしかしたらこの時期だから宮司さんは話してくれたのかもしれない。

さて神道では、通常お参りをする際は二礼二拍手一礼なのですが
来てくださった宮司さんの話を聞いていると
三拍手のところや、四拍手のところもごく少数だけれどあるらしい。
八田さんのHPや飛鳥さんの本で三拍手の神社が
いくつかあるのは知識として知っていた。
四拍手の神社の場所を突っ込んで聞いたところ
うまくはぐらかされてしまった。
帰られてから父に聞いたら
伊勢神宮なんだと教えてもらうことができた。

例えるなら
三拍手が(言い方は悪いが)レプティリアンならば
四拍手は格が上がるということだろうからドラコニアンなのだろうか。

日本は水神信仰があるので
龍=ドラコニスを祀っているんだろうと思う今日この頃。
新嘗祭などでは慰撫と祈願と雨乞いのような儀式を
しているんじゃなかろうかと一人で妄想しながら
想像して一人楽しんでいる。

日本は水が本当に豊かで
世界の水資源をめぐる争いに密かにさらされながらも
国民は水だけに露知らず
あぁ、今日も雨かぁ〜なんてボヤいているのだ。
自転が遅れている影響で大陸の内陸部で大旱魃が起きようと
規制されたメディア網で自分の生活を満たす分に
十分な知識欲を満足させてその外を見ないのだ。
見ないでも生きていける環境がある。
いや、それはあるように見せかけて作られているんだけれども
その裏の仕組みに気づかないと
作り物だってことに気づかないものらしい。
中緯度で、そんなに大きくなくて、周りを海に囲まれている条件が
整っている国は、そうですね…ニュージーランドくらいでしょうか。
向上心溢れた大和民族だったために
輸入した仕組みも国民はすぐに覚えて自分たちのいいように
改良してすごい効果を上げた。
それが高度経済成長期だった。
その結果、先進国にのしあがって
経済的に日本抜きでは世界が成り立たなくなってしまった。

天皇陛下は天皇を慰撫して国の繁栄を願います。
裏で手を回してでも、なんとか国民の生活を支えようとしています。
人工台風を中国に起こしてもらったりしてもらっているのも
多分そのため。
なぜなら、もう日本に四季はないから。

龍でないと水を操れないんだと思います。
だから、本当に日本は地理的にも民族的にも
恵まれているんだなぁと思います。
龍族の方達、今まで知らなくてごめんなさい。
そして、ありがとうございます。