2017年10月13日金曜日

2017年10月13日の自分へ

阿刀田高さんという作家さんがいらっしゃる。
ブラックジョークの名手、あるいはショートショートというジャンルで
名の通った方です。
随筆も、小説も書かれていますね。

今は、○○を知っていますか、シリーズを読んでいるのだけれども
本当にこの方は本の世界に引き込むのがうまい。
もう10年以上彼の本を愛読している。
とはいえ、ばかり読んでいるわけではないのだが
それでも、著者はこんな人なのではないか…
と、お人柄を空想したりして楽しませてもらっている。

彼の本には時折同業者の名前が出てくるのですが
よほど彼の心に残っている人なのだろう
引っかかっていると言ってもいいかもしれない。
そんな人がいる。
向田邦子さんである。
彼の彼女の文章に対する評価は、並みのものではない。
親しくされていたのに、比較的に若くして亡くなったことも
同業者として悔やまれているのではないだろうか、と推察する。
もうひとつ、こちらが大きく彼の中に引っかかっているというか
わだかまっているものがあるのではないかと思う。
彼がエピソードとしてちょいちょい使うのだが
死神の話である。
なんとも不気味で不吉なチョイスだが
彼はブラックジョークの日本における巨塔のような存在である。
しょうがないと思し召せ。

ある夜、阿刀田さんは夢の中で死神が魂を取りに来たが
怖くなって向こうだ、と
向こうに指をさして(自分ではないというジェスチャー)
怖い思いを逃れた。
その夢を見てからしばらく(数ヶ月、だっただろうか)して
作家の向田さんが亡くなったと知らされたのだとか。
同じマンションかアパートの、同じ階で
顔見知りだったのもあるのかもしれない。
死神に「向こうだ(向田)」と言ってしまったから…。
と、もう結構昔の話らしいけれど
悔やんでいらっしゃらないといいのだけれど…
と、頼まれてもいないのに勝手に1人心配するのでした。

とはいえ、相手は彼なのだ。
相手を信じ込ませるには
99%のホントに1%のウソをほんのちょっぴり混ぜ込めばいい
なんて、本に書いちゃう人なのだ。
その話だって、どこまでが本当でどこまでが嘘かなんて
私は読み手なのだから分かるはずがないのだ。
だから幻想という名のイマジネーションのエッセンスを振り掛けた
本という魔法の道具は面白い。
本がそこにあるのならば
人は本という名の経験と知識を収める本棚なのだと思う。
本棚だけれども、きっと中には
ぐちゃぐちゃにメモられた羊皮紙が
きちんとは整頓されていない部分が大いにあると思う。
それでも構わない。
まとめて、出せる分だけ書き出せばいい。
この言葉は今の自分に贈ろう。

2017年10月13日の 【← イマココ】

だいぶ真実に近いと思われるが妄想たくましすぎて
どうしよう的な地球の歴史など

興味深い動画があった。
それによると、Si(ケイ素)とC(炭素)の2つの系統から
現在の世界は成り立っている、と。

私の知識や想像もひっくるめてざっくりとした内容としては…

=====
神々と言われる異星人らはケイ素系の生命体でした。
また、ケイ素は大量の情報蓄積が可能な性質を持っていました。
なので異星人らはケイ素を主流とした高度な科学技術を
発展させることが可能でした。

なので彼らはケイ素を採取するために地球を創造し
ケイ素を採掘する働き手として炭素系の人間を創造しました。(アダムとイヴ)
地球はケイ素系の巨大な植物が生い茂る豊かなケイ素培養地でした。
地球に生えていた植物がとても大きかったので
異星人らは炭素系の人間に手を加え、巨人族を創造しました。
そして彼らに世界樹級のケイ素系の巨木の森を切り倒させました。

それを精製してケイ素を取り出すために
月から大量の水を地球に降らせました。(ノアの箱舟の頃)
この時、多くの巨人族や人間たちが死にました。
こうして水に炭素系の有機化合物が放出され
異星人らは大量の良質なケイ素結晶を入手することができました。

ノアらが箱舟で難を逃れたように
根の採掘跡を伝って地底に難を逃れた巨人族も少数いました。
次に異星人らは海水中で効率よく活動できる巨大な生物を創造して
大きかった森の跡地を採掘しました。
つまり太い根まで掘り起こしました。

大きな森から順に掘り起こし
その森の周りにケイ素結晶を精製する過程で出た
危険な産業廃棄物を積み上げました。(国産み神話,大海の成り立ち)
=====

ここからもなにもほぼ妄想ですが
異星人らも一枚岩じゃなかったのでしょうね。
それぞれに欲があって闘争があったりしたのでしょう。
そういう意味では、人間も異星人も
どんぐりのせいくらべをしているように思えます。
もちろん異星人と一括りにするには
彼らはあまりにも多様すぎるので
人間からしてみれば自分らよりも
はるかに知能も精神性も高い存在(もちろん程度の差はある)なので
彼らから
「これからは仲間に迎え入れてあげよう」
と言われたとしても、無条件に受け入れるには
あまりにも壁が大きいような気がしてならない。
彼らの仲間に入った後には後で、彼らの見た目や
色々な意見の対立だったり思想の違いなどの
いざこざは絶えることはないと思われる。

今はもう、かなり地球を支配する周波数が上昇しているようなので
先の心配をせず楽観的に気持ちを切り替えることができれば
彼らの存在を受け入れる際の心の負担を抑えることが
できるようになるのではないかな、と思います。
ただし、襲ってくるであろう大きな災害(フィジカルアタック)や
災難(メンタルアタック)への備え(物質的および精神的)は
十二分にしておくと保険になると思います。

2062年から来た男が示唆していた焚書坑儒も
このことから推察するに
『その結果、焚書坑儒になってしまう』
ということを言外に示唆しているように私は想う。

私に言わせれば影の世界政府のやっていることのなんと小さい事か。
やっていることは神々と名乗る異星人らのミニチュア版に見えます。
今回の一連の黙示録で
子供が大人におもちゃを取り上げられるかのように
彼らは神々というランクが上の異星人らに
地球を取り上げられるのでしょう。

続きを妄想していきます。

=====
比較的小さな植生をなしていた跡地で
比べると効率が悪かった場所は掘られなかったので
そこは陸地となりました。
神々と呼ばれる異星人らは他の資源培養地である惑星に
行っていました。
神々の不在な間に
レヴェルのまだ未熟な異星人たちは
経済という概念(彼らの作り出した幻想概念のひとつ)
を人々に植えつけました。
時々様子を見に戻って来ていた神々は
地球の人間たちに今後こういう計画があるから
こう心構えをしておきなさいよ、と
当時の人間の言葉を借り
当時の人間の理解できるであろう概念の範囲まで噛み砕いて
それはもう懇切丁寧に、配慮して伝えた。(宗教の預言や伝承)
伝えた数は数え切れないほどであったろう。

しかしながらその預言も未熟な異星人らに利用され
曲げて伝えられてしまった。
さらに彼らはその神の威光を借り
我が物顔で世界(彼らの作り出した幻想概念のひとつ)を支配した。
彼らは人々を、従順な何も知らない人々に貶め
従順な何も知らない人々を操り搾取している。
片や持ち上げては片や貶めている。
飴と鞭である。
彼らは意図して対立構造を何層にも複雑に作り上げ
人々を右往左往させる。

そして人々を右往左往させている間に
地球の主な資源であるケイ素を
密かに、あるいは大胆に採掘している。

=====
なんのために?

地球という資源の支配権をめぐる神々との全面戦争
という話も聞くし
その趨勢はもう決していてやっぱり神々には敵いませんでした
という話も聞く。

私が仕入れる情報は情報源として確かなものは本当に少なく…
しかし広がるwebの海に潜り
これは当たりだろうか
これは確かだろうか…
日々自分のできる範囲で情報を集めて
脳内情報を整理更新しているところで
今もその真っ最中だったりします。
そこそこ、総合的に見たバランスを重視して
動いているつもりなので
よほど私の感性にダイレクトに突き刺さるものでなければ
そちらに傾倒することは少ないんじゃないかなーと
ケイ素炭素で書き散らした上の文章を見遣って苦笑いをしてみる。

現状はかなり混沌としていて
後10日もしないうちに一瞬の内に、この地球を
事象の平面に残す(というか通過させる)という
一個人的な感情面からするとものすごい暴挙を神々は
するらしいです。
ただ、私の中の冷めた部分からそれを見ると
まぁ、しょうがないよねと諦めモードだったり…。
物理現象の結果としても受け入れるしかないこともわかるし
その物理現象の事象の大体の構造というか
あばうとな全体像も頭の中では把握できている…と思う。
その先がどんなことが起きるかもおぼろげに想像できるし
地球が歩んで来た壮絶な過去と現在をみれば
未来には…という予測もおぼろげに見えてくるし納得もできる。
だから、どんな未来が来るにしても
その未来は
さらにその先の未来へと続いていくものだというのもわかるのだ。

今現在神々側から提示されている目標というか目的はいくつかある。
多分段階やアタックをかけてくる域(方向や面、深度)
の違いからそれぞれの立場で見たもしくは(設定している)
目標が変わるのではないかな、と見ている。

それぞれがそれぞれの視点で、今の目標は〜と言っているだけで
相手の
立場
どこまでを達成ラインの目標にしているか
どの層に向かってアタックをかけているのか、etc…
がそれぞれ違うのだろう。
また目標を提示しているグループ毎に
どの立場を取っているのかも違うようです。
スピリチュアルならスピリチュアル、
オカルトならオカルト…といったように
一つの方向だけをひたすらに見て信じることができれば
例えどの勢力に加担して
例えどんな酷いことに巻き込まれようとも
その人は幸いです。
迷うことなく一つのベクトルを
持てる限りに特化することができるのだから。
それは信仰という名の狂気(凶器とも)
と一般的に言われるものだけれども
周りを気にしなければいいんです。
いくらでもやれます。
また、周りもあなたを気にしていません。
だからもしこの記事を読む人がベクトル特化しても本当にいいのか
と聞かれたら私は笑顔で答えましょう。

- 私があなたを許します - と…

複数の目標を一度に見たら混乱するでしょうね。【← イマココ】
もちろん私もイマココ(今此所)なのですが
八方塞がりを解説されていたスピリチュアルなwebも読んだのですが
どうやら、どれを選んでもいいものらしい。
無数に選択肢があるがゆえに
どれも選ぶことができないというのが
宇宙次元でいう八方塞がりのことらしい。

罪作りだなぁと思うのは
大芝居を打って、幾重ものヴェールを掛けて
さらに偽物も本物のふりをしていっぱい混じった挙句に
上から蜘蛛の糸が垂れてくるんだけど
太さや色や材質がかなりまちまち
でも、どれを選んでも正解!
(選ばなくてもOKらしいんだけど
最低ラインとして目覚める必要があるらしい)
と言った挙句に地球を一回ぶっ壊して
じゃぁもう隠す必要はないよね?
じゃじゃーん、実は異星人はホントにいて
今日から仲間ね、ヨロシク♪

って言われちゃうっていうのがホント質が悪い。
というように私には感じるんだよなぁ。
もうちょっとなんとかならなかったのかなぁ。

地球に関わっている”神”がまだまだ全知全能ではないから
こういう劇場型にする必要があったのかもしれない。
…ということに今日のところはしておこう。

Q:なんのために?
A:ワンネスだから

これが私が現在知り得ている
一番遠い先を見据えた彼らの目的である。

だから、という答え方をしているかどうかは不明。
ただ、ワンネス と言っているような感じがなくもない。
ワンネスのために、と受け取っても支障が出ないように思う。
つまり、これは宇宙の絶対法則なのだと思う。
彼らが今までの長い時間抗って来たり
色々この現象に対してアタックをかけて来た結果

揺るぎない摂理=ワンネス

という結論に達していて、彼らもそれに従っているのだろう。
時には本当にそうなのかな、って抗ってみるんだろうけど
その度に摂理(絶対的法則)を思い知らされる。

そうでなければ、彼らの上に更に上の存在がいて
摂理としてワンネスを掲げたその存在を
盲信しているか操られているに違いないのだ。
宇宙における全てが入れ子構造ならば
そういうことになるのも摂理なのだと思う。

ワンネスときいて、マライア・キャリーの『The Ones』
というアルバムを想い出す。
このアルバムはこれが出された時代までにおける
マライアの今まで歌って来た歌の中で
これが今輝いている歌手としてのマライアを表現するのに
最も値する歌(songs)だと
マライア自身が選んだ数曲が選択して集めた
珠玉の一枚なのだと私は思っている。

2017年10月12日木曜日

フィットする動画

個人的に面白いなぁと思って見ている動画を紹介。

地球に生まれた宇宙人へ 1 ※地球のルール

このシリーズが興味深い。

スピリチュアルっちゃスピリチュアルなんだけど
一番しっくりくる感じかなぁ。

物語という名の モノ語り ← イマココ

自分の中にある、自分の考えを覆っている常識といわれるような
フィルターのようなものをどんどん壊していっていると
それぞれの個々人には彼らの一人一人がもつ
独特な 物語 が存在することに気がついた。

人に会って話をするたびに
その人の物語に触れる。
いろんな人の物語に触れるたびに
私の中の物語も変化していく。
それは
変化していくというよりも
新しいページが書き加えられていく感じ。
まるで私自身がまっさらな下ろしたての日記帳かのように…。

脳が情報の記憶媒体だというのなら
私の脳はまっさらな下ろしたての日記帳かのように
まだまだ余白な部分が多いのかもしれない。

日記帳(どのメーカーのものであるかは問わない手作りでも可)
で例えるなら
新しく(古紙でも再生紙でも良いがこの、日記帳に追加するという
 意味合いで便宜的に新しくとここでは記す)
紙(書けるものなら何でもいいが便宜的にここでは紙とする)
を買ってきて
(くっつけるものなら何でもいいが便宜的にここでは糊とする)
とかで
とにかく紙をくっつけて日記帳の新しいページ
(日記帳という機能を備えた新しい領域としてのページという意味)
として…

みたいな感じで書かないといちいち難癖をつけて
(揚げ足をとるともいう)
話の枝葉
(端々)
をもって
(用いて、理由にして)
話の本質に耳を傾けない人がいるというか
非常に多いのに辟易する。

私が思うに、彼らにとっては
それが
嘘か本当かを見分けるための方法だ
と、とても強く思い込んでいるために
私から見れば、彼ら個々人の持つフィルターと
その彼らが信奉する嘘か本当かを見分けるためのフィルターとが
べったりと強固に張り付いていて
それを剥ぎ取ることは難しいように思える。

剥ぎ取ることはおろか、横にスリットさせてずらすことも
フィルター同士をくっつけている何かを
溶かし出すことも難しいように思える。

私自身のフィルターは
いわゆる常識といわれるフィルターから
ずいぶん距離があるように思うし
可能ならば将来は
常識フィルターよりももっと広いフィルターを備えたいと思うし
(やっぱり許容域といったほうがしっくりくる気がする)
許容域をもっと広げたいと思うし
私のフィルターの表面にたくさんくっついているレセプターの数も
増やしたいと思うし
可能ならばレセプターの種類も増やしたいし
大きさも大きくしたい。
もちろん極小のレセプターがあってもいいけどね。(笑)

お話、ずいぶん飛んじゃいましたね。

人に会って話をするたびに
その人の物語に触れる。
いろんな人の物語に触れるたびに
私の中の物語も変化していく。
それは
変化していくというよりも
新しいページが書き加えられていく感じ。
まるで私自身がまっさらな下ろしたての日記帳かのように…。

脳が情報の記憶媒体だというのなら
私の脳はまっさらな下ろしたての日記帳かのように
まだまだ余白な部分が多いのかもしれない。

日記帳で例えるなら新しく紙を買ってきて
糊とかでくっつけて日記帳の新しいページ
を随時足していっているような感じ…かなぁ。
もちろん私の経験してきた過去の物事は
私の記憶として日記帳のどこかに記されている。
くっつけた新しいページごとひっくるめて
私がどんどん更新されていく…そんな感覚。