2018年5月19日土曜日

シンデレラとガラスの靴

とても小さなガラスの靴に入る足は
纏足なのではないかと言われているのですが
どうも違うのではないかと思う今日この頃。

逆転の発想、なのだけれども…
当時の人たちがほぼ全員扁平足だったのではないかと
一人想っている。

先日、靴屋さんに行って聞いた話なのですが
扁平足だと足のアーチがベチャッとなって
肉も落ちている状態なので足が横に広がるのだと。
その結果、きつくない靴を履くとますます横に広がって
どんどん大きなサイズの靴を履くという矛盾が生じるらしい。
ちなみに私も扁平足ですが、
その話を聞いてガラスの靴って、
そういうことだったんだと思ったことでした。

比較対象でいうと、
纏足は行き過ぎた感があるし
男尊女卑の考え方を押し付けるという面でも
解釈の段階で纏足が、となったように思う。

どこまで正確な知識かはわからないけれど
中世ヨーロッパとかでは、
子供が生まれてから足のサイズが上がるたびに
オーダーで靴を作るのだとか。
フルオーダーで靴といったら、2018年現在では
一足数十万円〜となっている。
理由は簡単。
できる職人がほとんどいないから。

産業革命あたりからこっち
大量生産大量消費に転換したツケを
消費者自身が払わされている状態なのだろう。

足の話でいうなら、足裏球体の話も関係しているように思える。
蹲踞という座り方も、足のアーチを鍛える方法なのだと思う。

ガラスの靴が正常な足の人が履ける靴だとするならば
現代の人はどれだけの人が履けるのだろう?

小さい頃から、自分の足にぴったりの楽でない靴を
紐でギュッギュして履く。
履き続ければある程度慣れるとは思うけれど
ある種苦痛、なのかもしれないなと思う。

それは例えば、ナザレのイエスさんが
本当に自分が進む道はこれでいいのかなと
自問自答しながらジーザスとなっていったように。
それは例えば、ある程度覚醒している私たちが例えられている
薄氷を渡るように…本当にこれでいいのかな、と
きっと天啓が降りるその瞬間まで自問し続けるように…。

サナンダさん、ありがとう。

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