過去の メモより
うはぁ…。
日本でも、デモというものが意外にも日常に行われているのだと知った。
◆日本全国デモ情報|マガジン9
でも、なぜニュースとして、あまり取り上げられないのだろうか。
ニュースに取り上げられることによって国民の問題意識が芽生えてそれを是正すべく理解が進んだり現状の見直しが行われるものなのではないだろうか。
デモ活動をする人達は、不満が募っているから行動を起こすのであって、その不満を解消するように社会が動けばよいのでは…?
たられば話で終わるのだけれども…。
社会を動かすのは、個人ではなく、メディアの仕事だからですね。
何をとち狂ったのかポップコーンの原料豆を買っていたので、いい加減使わないとかぁと思い、ひよこ豆みたいに半日浸水処理して圧力鍋で10分も加圧したのに全然水吸っていなくて固かった…。
たしかに膨らんでいなかったけどさ…。
ペンチでひと粒ずつ割って同じようにしたのだけれども、やっぱり固くてダメだった…。
じゃあってぇとよく水気を拭き取ってから鍋に油を敷いて焼いてみたら、時々はねるけど…おさまったと思って見てみたら大抵は弾けずに揚げられていた…。
もちろん固くてダメだった。
氣を取り直して袋から出したポップコーンの原料豆を改めて焼いてみたら、跳ねる跳ねる…。
高い確率でポップコーンが出来た。
やっぱりこの品種は、ポップコーンのために特化した品種なのだなぁと思ったことでした。
とりあえずマヨネーズと胡椒で和えて食べてる。
レパートリー増やさないとなぁ…。(汗)
タイトルで大体終わってt…。
どんな世界になっても、健康寿命は常に求めたいもの…。
多くの人がワクチンを打って多くの人の寿命が例えば20年くらい短くなってしまっても、なるべく長く生きたいし、なるべく病気になりたくないものだ。
だから、そうだなぁ…せめてレトルト食品なんかを食べても、コンビニ弁当を食べても可能な限り添加物が少ない世界だといいよね。
あと、可能ならば無農薬栽培…。
小さな畑を貸してもらって家庭菜園のような真似事をさせてもらっている。
およそ週一で見に行くのですが、雑草の勢いがすごい。
畑の貸主さんとよく会うので、主人がどうしても雑草を抜いてしまう。
YouTubeでスギナとかは生やしといたほうが他の雑草が生えにくくなるから抜かない方が…とあったけれども、完全に自分の畑ならできるかもだけど、他人の目が気になるから同調圧力を感じやすい僕らには無理のような気がする。
日本は降水量が多い国だから除草剤とかも土に残りにくいからまだましなのだけれども、(その分海に流れ込んでる…ごめんね;)降水量が少ない国だと、残留し続けるので次の育成に支障が出るのだそう。
地上や空の毒物や廃棄物は結局海に流れ込んで、その中で育った魚なんかを食べるのは結局自分たちなのだけれども、薬剤とか使っている人はそんなこと考えないのだろうなぁ。
考えると『使うことに罪を覚えるのが普通』のように私には思えるのだけれども…。
夏に取れたピーマンは、小さかった。
肥料はほとんどあげていなかったからなぁ。
それでも実ってくれる。
光合成万歳ですねぇ。
ちなみに、ぎゅっと詰まってた。
肥料って、促成栽培のための道具だったのですね。(笑)
話は変わって、先日、ワクチン反対デモがあったらしい。
興奮して冷静さを見失っているYOUTUBERさんを見かけた。
都会に住んでいたならこっちより同調圧力も強かっただろうから、反動がその分強いのだろうなぁ、と思う。
物理的な距離というものは、その距離何如で人に与える熱量が変わってくるものの大きな要因なのかもしれない。
首都近郊に私も住んでいたなら、多分デモに参加しただろう。
だから、そういう環境だったらなまじっか参加できてしまうだろうから熱量が高くなるのは、仕方がないかもしれないなぁ…。
日本の端っこ辺りに私が生まれたのにも、スピ的には何か意味があることなのかもしれない。
ただ…周りが見えなくなっていることが、ちょっと心配…。
熱狂的な波が起こって来ている。
前にどこかでみた話によれば、冷静でいないとルシフェルだっけ?に飲み込まれてしまう、そうで、せめて自分はそうならないように気を付けることくらいしか出来ない。
そうなった時の彼らには…制止する方向のどんな言葉も届かないのは、人生経験則から予測がつくものだからだ。
静止衛星だけに制止、冷静に…なのか。(微苦笑)
頂いた野沢菜漬けがたばこくさい…。
漬けた人が煙草吸いなのか、それともスギナみたいに野沢菜自体にニコチンが含まれているのか…。(汗)
野沢菜漬けはプラスチックの薄い袋に包まれていて、さらにジッパー袋で閉じてあった。
ジッパー袋の臭いが最初タバコ臭がしたように感じた。
ジッパー袋の普通の保管方法を考えると、漬けた人の家族の誰かが家の中でタバコを吸ってると考えるのが妥当なところだろうか。
植物は土の中の成分を吸い上げるものだけれども、スギナがニコチン含んでいるならつくしも含んでいそう。
ニコチンは毒物だから、虫による食害をあまり受けないのかもしれない。
フグがテトロドトキシンを溜め込むみたいなことなのかなぁ。
為政者にとって権力を自分に集めるのに都合の良い形は三角形(▲)。
林立するより1つの大きいものの方が楽。
そして宗教は心の弱みに甘い言葉で囁いて依存させる強力なツール。
アメリカのユダヤ教徒はアシュケナジーと言われるのは…イギリスから離れた人たちだから、かな。
イギリスはキリスト教から独自のキリスト教を作ってしまった国。
今は分からないけれども当時は清教徒がイギリスに多かったのでは?(清教徒革命があったから)
だから逃げ出した人たちは清教徒では無いイギリス国教に近いのかも…。
彼らにとっては新天地アメリカ大陸は例えばカナンの地に、例えば自分たちは住むべきところを追われてしまったユダヤの民に心境的に例えたのかな…。
金貸し業はユダヤ人だと差別的な扱いを受けてしまったり、ひいてはお金持ちも侮蔑されていたのでは…?
(人は自分に無いものを羨ましがって妬み、どうしても手に入らないのならいっそ悪にしてしまえ、と考える生き物だから)
ユダヤ金融資本とか言われる人たちが寄り集まったのも、自分たちを守るためなのかもしれない。
お金は沢山ある、自分たちにより良い世界に暮らしたい。
そうなったら、お金の動く先は権力、宗教、この辺りから動いて後に様々な分野へと広がって行ったのだと妄想してしまう。
所属するそれぞれの人が得意とする分野があったろうし、宗教的な結束があればこそ裏切る事はかなり少なかったのでは…?
共通の目指す世界を創る目標をその中のそういうのを考えるのが好きな人達が考えた。
自分たちを故郷を追われたユダヤの民となぞらえているから聖書に拠っているのは必然なのかもしれない。
聖書は、あー…とある団体の考え方によると、科学書なのだそう。
信仰と計画と実行が合わされば、聖書はあっという間に彼らにとっての計画書になっただろうし、(この辺りの考え方はゲーム『オーディンスフィア』(おでん(ワクチンの隠語)の恐怖(笑))に出会っていたから得られた着想なのかもしれない)それを知らない他のキリスト者にとってみれば聖書は予言書に映るのでは…?
世界中にキリスト者に連なる人たちがいて、その方達はほぼ聖書を信じている、というよりも信仰している。
同じ物が基にされているのなら合致性は高くなるはず…だよなぁ。
どちら側も信仰しているのだから、なんだか始末に負えない。
できれば、ボタンの掛け違えの重なりによって大きくズレた世界は、そろそろリセットしないと服としてもダメになってしまいそうで…。
掛け違えているのなら、恐らく1つひとつ外して、1つひとつ正しい場所にはめる必要があるのだろう…。
ちゃぶ台返しからのやり直し、は、なんだか都合が良すぎる気がする。
都合が良いのは、それを願う人たちの都合に合わせて、『だったらいいのにな』という想いが『に違いない』に新化してしまったから…なのかもしれない。
…かといってなぁ…説教したところで誰も聴く耳は持たないからですね…。
他人の戯言よりもどうやったって自分が信じている、信じたい世界観がその人たちにとっては最優先なものだから。
いろんな分野の人たちが、現在の定説が黄金比のレシピにたどり着いていない試行錯誤の過程だということに自分たちで気が付いて、定説やそれの出来た背景や経緯などを精査して1つひとつ修正していってもらうしか無いように想ってしまう。
あとは…広げ過ぎた風呂敷をそれぞれの団体がどう畳むことができるのか…にかかっている気がする。
どうやってもね、発展しすぎたシムシティはゴジラボタンが必要とされるらしいし、宇宙とか、未知の外的要因があると風呂敷畳には便利みたいですね、ゲームを見ている限り。
ゲームは悲劇と苦難の連続で、だからこそ目標が出来たり喜びが存外に大きく感じたりするのかもしれないけれども、そればっかりだと、こう…食傷するなぁ…個人的に。
かといって自動のゲームは無関心になって興味が失われるから好きじゃ無いし、作業ゲーもちょっとなぁ…。
仕組みが見えると作業になってしまうのが興醒める。
形として成果が残るものが好ましいけれども、廃課金を求められるのは、どうかしているように思う。
私がケチだからだろうか…。
日食イベントで何故か日本の高級ホテルが予約がいっぱいらしくて、日本で儀式が行われるのでは無いか、という声もあるようで…ぶっちゃけどうなのでしょうね。
滅多に無い天体イベントだから観たい人はワクワクして見るだろうし、それを不吉だと信じる人は難を逃れるために移動するのでは?
平安時代の貴族が何をするにも凶の方位を避けたように…。
結局、同じものを見て、どう受け止めるかはその人のフィルター次第…なだけのような気がする。
だけれども…個人的には、穏やかな私の生活を乱さないで欲しいものだなぁ…。
一応、心臓が弱くなっているものだから…。
妄想(もう、そう)なんだからね。 ・×・;
幾つかの動画を見ていると、解毒が重要な時代らしい。
(多分いつの時代もそうだけれども)
なので排便について書いてみよう。
スルッと出やすくするコツは、食事後や温かい飲み物を飲んだ後に『あ、出そうかも』というタイミングを逃さずに駆け込む事。
おならをなるべく我慢しないこと。
(最近は空気清浄機があるから、便利ですね。)
便が固い場合は、水分多めの料理を食べる事。
(ふろふき大根とかね)
あとは、人間は赤い色を見ると血を連想してアドレナリンみたいな興奮するらしいので、個室の中に赤い何かを持ち込んで凝視する、とかね。
(スマホケースを赤にしてみるとか)
よく言われることだけれども、不溶性食物繊維は便の容量を増やして、水溶性食物繊維は便にも保水させる効果があるそうだ。
それでも出なくて、薬も使いたく無いなら、お腹を下す方法を選択するのは、どうだろうか。
よくいう事だけれども、アイスクリームをいくつか食べる、とか。
急にお腹が冷えたら、お腹を下すよね。
下痢だとしても、結果的には排便できてます。
イスラエルで国民に寝ないように指示が出たと聞いた。
何日か前だと思う。
妄想…。
眠らせないで脳を疲労状態にした頃にブルースクリーンという技術を使って*を顕現させてみんなに見せて、うちの国は守られている、今こそ聖戦の時だ、的なことを擦り込むのだろうか…。
一応イスラエルはユダヤ教徒の国ということになっているので、イスラームのように聖戦を主軸にする事は無いのだろうか。
でもどこかで最近、イスラエルは戦いの神の国という意味だというのをどこかで読んだ氣がする。
ユダヤ教もキリスト教もイスラームも同じ神様を信仰しているのだから、好戦的なのだろうか…。
正教も元を辿れば同じ信仰のようなので、この神様は人類に戦いをもたらしたのではないかとも思える…。
戦いなんて争いなんて、無くなってしまえばいいのに…。
一神教は、その神以外は全てダメとするからどっちも正しい、とか、そういう考え方もあるよね、とか許容範囲が狭くなってしまったのでは無いだろうか。
古代のギリシャの神々はキリスト教に席巻されてしまったのは、予想だけど、やっぱり神殿運営が組織化して腐敗していたから…かもしれないなぁ。
腐敗してるのダメ、今日からこうしよう、と言われて『いいなぁ、そっちの方がいいんじゃね?』と思った人が多数を占めたから宗教改革が起こったのではぬいか、と思った。
では、この一神教が大多数を占める社会は現在盛大に腐っているのだけれども、多神教に戻すのか、それとも宗教自体を人が必要としなくなれるのか、…道はどちらか1つなのかなぁ…と思う。
1番いいのは、人間が宗教に精神的に頼らなくても安心して生きることができるようになる社会を構築すること、のように思える。
早く皆が安心して暮らせる日が来るといいよね。