2024年2月3日土曜日

節を分ける日だからね。

 誰が言い出したのだろうか。

コンビニでフェアを打ち出したのがきっかけで2月3日に恵方巻を食べるのが定着してしまっている。

元は、どこかの地方での芸者遊びだそうな。


さて、男根信仰と言うのは日本各地で残っているのだそうだ。

お地蔵さんのように拝む対象となっているところもあれば、オブジェクトとして形を採用しているというところもあるようだ。

私は、オブラートに包んだ書き方をしたり、気を使ったり例えを出したりすることが多いのだけれども、それをやっても相手に意図しているところが全く伝わらないことが多い。

だから、隠さない時期もあったが、その時期に隠せよと言われたことがあった。

個人的には、じゃあ理解しろよと思うのだけれども、それは傲慢なのかな…。


切らないのり巻きを食べる事は、アイスキャンディーやチョコバナナを食べる様子と似ているのではないかと思う。

それを連想させる…というか、それを意図してチョイスしたのではないだろうか。


海外の人がそれを知ったら、褒めるだろうか、引くだろうか。

さすがエロ大国日本ですね、と。


恵方巻自体は食べ物で、あんまり体に悪いものは入っていないと考えたいのだけれども、裏に意図しているものが見え隠れしているのなら、何が画策されているのかを調べて、賛成と思えば参加すればいいし、嫌だなと思えば参加しなければ良い。

ワクチン接種も同じようなものだが、恵方巻は、そういうものの試金石というか指標になりそうな感じですよね。

平和ボケの日本人は、ほんとにカモにされているような…。

カモがネギ背負って歩いてる?(=うまい)的な…。

ネギはお金かなぁ…。


元の語源は、賀茂神社と禰宜(ねぎ)らしいんですけれどもね…。


判り辛いですかね?日本人の皆さんには…。(笑えない

2024年2月2日金曜日

『いただきます』の気付き

 日本では、食事の際に『いただきます』と言う習慣がある。

以前主人から面白い話を聞いた。

海外の人が周りの人を気遣って「eat a duck and a mouse」と言う人がいると言う話。

それを聞いてからしばらく経って、今朝気づいたことなんですが、向こうの言葉に訳せば、『thank you』と言うことなので、普通に彼らも「thank you」と言えばいいんじゃないかと思った。

日本人が、いくら日本語に執着しようとも、学校教育なり、テレビなり看板なりで、英語文化には触れざるを得ないし、多分簡単な言葉なので、『thank you(ありがとう)』と言う意味位は、誰でも理解できるんじゃないかと思う。


感謝されて、嫌になる人は、そう多くないと思うのだ。


2024年2月1日木曜日

草々

『 寄付』について、たまに考える。

少なくとも私の『寄付』の認識は、相手に見返りを求めないことが前提ですね。

私の中では、理解を求めてお金や物を渡す事は、『賄賂』に近いのではないかと考えている。


あぁ…自分にもブーメランが刺さって痛い。

ふるさと納税でお礼の品から納税する自治体を選んでいる私。

本当に志の高い人ならば、お礼の品を選ばずに、そこに納税するのだろう。

もしくは、納税上限を超えたお金を寄付するのだろう。


とあるユーチューバーさんの動画を聞いていてびっくりしたのは、市(訂正:県)に寄付をした人が、表彰式(訂正:贈呈式)をしてほしいと要望を出していることと(出せるんだ〜とか、出すものなのか普通?)、私に直接お金で寄付を出そうという感覚があるのはすごいなぁ、と言うことでした。


よく聞く話なのですが、日本人はケチで寄付をしない、そうです。

確かウィキペディア関係でそういう話題が出たことがあったように思います。


アメリカや日本でも、節税のために寄付をする事が多いとも聞きます。

寄付金額によって一定の割合%が免税されるという仕組みがあるようです。

(私は詳しくはないので、気になる方は調べられてみてください。)

聞いた話によると、その免税を適用されるためには、寄付額が分かる領収書みたいなものが必要だとか。


まさかとは思うが、その免税を利用するために、子会社等に資金提供したり、一般社団法人等を作ったり、政治献金をしたり…するのはどうなのかなと思う。

話に聞くに、アメリカの大企業などでは、先に投資する先の会社の株を大量に買った後に、大量の寄付をしてそれをもとに成果を出す、とお金が数倍に膨れると言う話も…。

事実かどうかは、個人レベルでは確かめようがないので、今後の解明を待つしかなさそうだ。


三国志より前の時代から、中国では賄賂がはびこっていて、政治体制がダメになってしまったと言う話が繰り返されているのだけれども、今もそれは変わらないようで、しかも、その内の1つの国を美談や理想の国として日本では多くの人に話も伝わっているはずなのに、その出来事を反面教師とせずに、ツールとして使っている人たちが、なんと多いことか…。

孔明が嘆きそうですね。


孔明と言えば、中国には今も彼の子孫の方々は村を作っていると言う話がある。

そこの村の人々は、医学者が多いのだと言う。

人の役に立って、食いっぱぐれることがなく、人から尊敬される職業だからというのが教えられているそうである。

架空の話ですが、日本にもブラックジャックがいて、その話を読んで医学を志した人も多いのかもしれない。


先日、久しぶりに医者と接して、多忙極まりない毎日を送られていることに、頭が下がる思いをした。

この時期になって、未だ患者にワクチン接種を進めているのは個人的には安心ができないけれども、一応、現代の主流医学として流通している概念と理論では、それが有効的である、とされているので、一応専門知識を持つ彼らとしては、自分を頼ってくる人たちを助けてあげたいと言う気持ちが、どうしても働いているんじゃないかなと思う。

しかしながら、仕事が多忙極まっているために、新しい知識を入れたり、疑っても実験や調査をする時間が確保できないのではないかと思う(もちろん気力も)。


個人病院を開いている人なら、人件費や経費等もかかるしもちろん税金も重くのしかかっているので、何とかやっていくために続けざるを得ないという状況も拍車をかけているように思う。


特にワクチンに関することについては、医者に知識をつけてもらいたいのだけれども、どうしてもそれが望めないと言うのならば、やはり…多くの国民がワクチンのデメリットを知り、ワクチンを打たないようになってメジャーではなくなる…という方向になっていかないと、どうしても変わらないように思える。

メディア等は、その性質上、話題性のある、耳目を集める事を取り扱うことが多い。

現在の流れでは、良い方向かどうかわからないけれども、SNSでの話題性が大きくなって、そこからメインメディアに波及して、視聴者に伝わり、個々の行動が変化して行くと言う流れになりそうだ。

問題は、それぞれの段階に移る途中で、個々のフィルターに入り、解釈がそれぞれ違うものになるということ。

その結果、統一して同じ所へ向かうわけではなく、バラバラに放たれる。

多分、予想もしていない方向へ結果が振れることもあるんじゃないかなぁ…。

そこから、何か『学び』を得て、向上するためにそれを生かすことができるのか…そういうのが問われているように感じる。

ゲーム『リアル』

 何年も前から、両極端を行ったり来たりしている。


こっちにはこんなメリットがあって、あっちにはあんなデメリットがある。

でもこっちも調べてみると、別のデメリットがあって、あっちにはそのデメリットは無い。

とか、

デメリットがあるのはわかっているのに、どうしても利用してしまう。

があるのはわかっているのに、どうしても利用してしまう。

など…。


依存性の罠、利便性の罠、固定概念の罠、考えれば他にもいろいろありそうだ。


いろんな罠とか自分の癖とか障害物を乗り越えていかなければいけないのかもしれない。

ゲームも、だいぶハードモードになってきたようだ。

私自身はゲーマーではあるけれども、そこまでコアでもマニアックでもないので、どこまでついていけるか…先行き不安である。

2024年1月30日火曜日

嬉しくない米

 YouTubeの動画を聞きながら、やっぱりアンチコメントっていやだよねーと思った。

私がユーチューバーをしていた時も、極々たまに(私から見て)うれしくないコメントが来ていた。


私もYouTubeにコメントつけるのだけれども、感謝を忘れないように気をつけながらも、やっぱり相手は嫌なんだろうなぁ、と思う。

だけれども、前ずっと追っていたユーチューバーさんが、アンチコメントをどんどんブロックしていて、結局その人にとって見えるコメントは自分を『イイネ』するコメントに、ほぼなってしまったらしく、(言い方は悪いけれども増長して)ついには自分は教祖だと名乗り出してそのチャンネルの中で宗教のようなグループ組織を作り上げてしまったのを覚えている。


YouTubeの機能として、コメントにフィルターをかけたり、表示するコメントをチャンネルのユーチューバーが選んだりすることができる機能が付いている。

それ自体は、YouTubeがユーチューバーと言うユーザー守るための対策でしかない。

私も極々たまに来る嫌なコメントを見てすごく気分が落ち込んだし、その上でそのチャンネルを続けていく人の心理もなんとなくわかる。

アンチという括りでレッテルを貼って、嫌なコメントが来たら、あぁアンチからなんだなぁと心の中でアンチの箱にそのコメントをそっとしまい、引き出しを閉める。

そうすることで、自分を強く正当化しなければ、次の動画の制作にかかることができないからだ。

私はこれができなくてYouTubeを止めたんだろうと自身で分析している。


彼らはアンチと言う仮想の敵を作っているのだけれども、実在するか、実在しないかは、定かではないと思う。


実は、自分の知り合いからコメントを付けてもらったことがあって、コメント自体を見ると、少々気持ち悪かったのですが、ご本人さんは、いたって真面目な方なので…ということがあった。

これが、インターネットが持つ仮面(ペルソナ)の力なのかもしれない、と思った。

私の動画が、趣味の領域に分類されるから、その辺と共鳴したのかもしれない。


どちらにしても、アンチと言うグループ自体が存在しないのではないか、と私は考えていることを強調しておこう。

(グループ分けをしているのは、言われた人なのだから。)

本当は、誰もいがみ合わない世界が早く来ると良いと思う。

しかしながら、それは理想の世界であって、このリアルの世界で生きている私たちにとっては、それはもう本当に理想郷で…実在しない世界なのではないかと思う。


それと、話は変わるのだけれども…熊本地震の時に真実系のサイト運営されていた方の家のすぐ脇が震源になった、とご本人がサイトに書かれていました。

(その方は別の地域に引っ越しをされていて、サイトの運営者も変わっています)

その方曰く、「アメリカの機密情報をたくさん持っているから狙われたんじゃないか…」と。

本当かどうかは、『神のみぞ知る』の世界だと思いますけれども、もしそうならば…直下型地震の震源地付近には、陰謀系や真実系などのアメリカの秘密組織にとって都合の悪い情報を握っている人たちが、いたりするのかもしれませんね。

調べるの難しいんでしょうけれども、それはそれでとても興味深い話です。


2024年1月29日月曜日

陰謀論について最近考えたこと

 私もしばらく前までは陰謀論にどっぷりとつかっていた身なので、別にそれは悪いことじゃないのではないか、と今でも思っている。

なぜならば、陰謀論に触れることで世界や社会の見方がちょっとだけ変わり、別の視点からものを見ることができるようになるからですね。

そうですねー…スピリチュアルで言うところの『少し深くなる』と言うのと似ているような気がします。


私のここ数ヶ月での陰謀論の捉え方は、ノスタルジーか懐古主義の残骸なのではないかと考えている。

陰謀論や真実系での電子レンジの音は相変わらず『チーン』だったりします。

ここ5、6年のものを見てみると簡単なメロディーラインが流れたりするものが主流になっているように思います。

でも陰謀論を知ることで電子レンジの出始めはこうで〜とか、普段はあまり考えもしない電子レンジのもの温める原理について、一時的とは言え関心を寄せることができる。

一時的とはいえ、関心を寄せることができる。

これは、普段使っていない脳みその領域を使うことでいつもとは違う新しい刺激を脳に与えることができると言うメリットがあると私は考えている。


もう一つの、割とありかなと思われる陰謀論の捉え方としては、『原理を知らなくても使用することはできる時代だからこそ、教養としてもしくは、取扱説明書の注意書きを理解するために』という側面もあるように思う。

もしくは…現代における『トリビア』にも代わるものかもしれない。


これまで書いてきたように、私のスタンスとしては、別にアリなんじゃないか、ということ。

本人の経験になるなら、『すべては血となり肉となる』とすればいいじゃないかと言うこと。

現在の私は、陰謀論から少しだけ距離を置いている感じですかね。

真実系の話も、結構面白いものも多いですよ。

スピリチュアルも、少し距離を置いて付き合えたら、得られるものもあるかもしれませんね。

結局のところ…年月は流れるし、大半のいわゆる『大衆』がこの国を支えて、この国のブームを作って、この国の世相を作っていくものだから…。

戦争でどこの国が勝ったとしても、そこの土地で暮らしている農民は所属が変わるだけで、ずっとそこに暮らして畑を耕しているのと同じことだから。


農民からすれば、税金を納める相手が変わるだけ。

税率がちょっと低くなったら、『いい領主様だ』と、なり、税率が高くなったら、『ひどい領主様だ』となる。

ちょっと上からの言い方になるけれども、この例えで出てくる農民は、土地を放棄して別の国のところで農民になるという選択肢もあるはずなんですが、農民の価値観においては、この土地は先祖代々耕してきた大切なところなので、もしくは、ここの土地で農民をする以外の選択肢を知らないがために、『他の土地へ行く』という選択肢が、そもそもないのかもしれない。


ちょっと話は変わるけれども、日本は島国だとよく言われる。

日本人はもの知らずだとよく言われる。

鎖国政策を昔していたからか?

陸続きで他の国とは接していないからか?

それとも、特殊な事情で情報の封じ込めが行われているからか?


最近、物価が高くなってどうにかしてくれ的なことを政治家が言われて、『慣れろ』的なことを発言したことが叩かれているという認識が私にはあるのだけれども、叩いた人たちはもしかしたら、世界情勢について全く関心がないのか全く無知なのかもしれない。

一応テレビや新聞などでも、中東情勢を伝えてはいるし、『フーシ派』という文字が紙面に大きく掲載されているのも、見かける。


『物価が上がっているんですどうにかしてください』と政治家に言われても、手に余ることだし、世界を眺めてみると、日本よりも物価が高騰している国も複数ある。

どうしても日本でなければいけないわけではないのならば、もっと物価の安い国に移住すればよいのだ。

現在では、国交も結ばれていて、正式な手順を経れば外国に行くこともできるし、外国に住むこともできる。

もちろん、そこに大きな勇気や費用がかかる事は否めないけれども…。

その選択肢を放棄していながら、文句を垂れる事は、その選択肢を知っている人からすれば、ただの甘えに外ならないように思う。

今後は、ますます物価が上がることがかなり前から予想されている。

陰謀論や真実系などに触れている人たちは、そのことは、とうに承知だ。

だから備えている。


日本は火山大国で地震大国なのだけれども、他の国に比べて(あまりに頻発しているゆえに?)国民は地震慣れしていて、『まぁ何とかなるさ今までも何とかなってきたし』と考える人たちも多いようだ。

日常を壊したくないという正常化バイアスが無意識的に働いているとは思うのだけれども、備えている人たちから見れば、あまりにも無知に思える。

一昔前のその界隈では、『お花畑』と揶揄されているのも納得できる。


一般の人たちも、そろそろ自分たちの置かれた状況を俯瞰して見る必要があるのではないだろうか。

状況は大体上に書いたけれども…。

トイレットペーパーは日本人にとって癒しなのかもしれない…。

 なんか、タイトル出オチになってるんですけど…。

ユーチューバーのヘライザーさんの動画を時々思い出して、『ふわふわ もこもこ 真っ白』が移って、時々口癖になってしまっている。

口に出して言いながらこれがヘライザーさんの癒しになっているんだなぁと思っていると、フッと連想が飛んで、オイルショックの時を思い出した。

といっても、その頃は多分私は生まれてないんですけれども…。


当時の日本人にとって、またタイトルにも書いた通り、ふわふわで柔らかくて真っ白いトイレットペーパーという存在は唯一とは言わないまでも、一般大衆にとっては癒しの象徴だったのかもしれないなぁ…と思った。

現在では癒しの対象がたくさん増えているので、唯一にはならないのかもしれない。

例えば…ぺットの存在だったり人によっては嗜好品のお酒だったりチョコレートだったりするのかもしれない。


私の話では無いのだけれども、私の祖母が実は昔猫を飼っていたというのを、ちらっと話したことがあった。

その頃は、猫って面倒でやだ、と言ってたんですけど、それでも年配になればなるほど、そういう癒しが欲しかったのか、柔らかいまるで猫そっくりの猫の置物を玄関先に置くようになっていたようだ。

祖父からは多分何も言われなかったのだろう、うちの実家は女らしいものがあまりなかったから…。