2024年2月1日木曜日

草々

『 寄付』について、たまに考える。

少なくとも私の『寄付』の認識は、相手に見返りを求めないことが前提ですね。

私の中では、理解を求めてお金や物を渡す事は、『賄賂』に近いのではないかと考えている。


あぁ…自分にもブーメランが刺さって痛い。

ふるさと納税でお礼の品から納税する自治体を選んでいる私。

本当に志の高い人ならば、お礼の品を選ばずに、そこに納税するのだろう。

もしくは、納税上限を超えたお金を寄付するのだろう。


とあるユーチューバーさんの動画を聞いていてびっくりしたのは、市(訂正:県)に寄付をした人が、表彰式(訂正:贈呈式)をしてほしいと要望を出していることと(出せるんだ〜とか、出すものなのか普通?)、私に直接お金で寄付を出そうという感覚があるのはすごいなぁ、と言うことでした。


よく聞く話なのですが、日本人はケチで寄付をしない、そうです。

確かウィキペディア関係でそういう話題が出たことがあったように思います。


アメリカや日本でも、節税のために寄付をする事が多いとも聞きます。

寄付金額によって一定の割合%が免税されるという仕組みがあるようです。

(私は詳しくはないので、気になる方は調べられてみてください。)

聞いた話によると、その免税を適用されるためには、寄付額が分かる領収書みたいなものが必要だとか。


まさかとは思うが、その免税を利用するために、子会社等に資金提供したり、一般社団法人等を作ったり、政治献金をしたり…するのはどうなのかなと思う。

話に聞くに、アメリカの大企業などでは、先に投資する先の会社の株を大量に買った後に、大量の寄付をしてそれをもとに成果を出す、とお金が数倍に膨れると言う話も…。

事実かどうかは、個人レベルでは確かめようがないので、今後の解明を待つしかなさそうだ。


三国志より前の時代から、中国では賄賂がはびこっていて、政治体制がダメになってしまったと言う話が繰り返されているのだけれども、今もそれは変わらないようで、しかも、その内の1つの国を美談や理想の国として日本では多くの人に話も伝わっているはずなのに、その出来事を反面教師とせずに、ツールとして使っている人たちが、なんと多いことか…。

孔明が嘆きそうですね。


孔明と言えば、中国には今も彼の子孫の方々は村を作っていると言う話がある。

そこの村の人々は、医学者が多いのだと言う。

人の役に立って、食いっぱぐれることがなく、人から尊敬される職業だからというのが教えられているそうである。

架空の話ですが、日本にもブラックジャックがいて、その話を読んで医学を志した人も多いのかもしれない。


先日、久しぶりに医者と接して、多忙極まりない毎日を送られていることに、頭が下がる思いをした。

この時期になって、未だ患者にワクチン接種を進めているのは個人的には安心ができないけれども、一応、現代の主流医学として流通している概念と理論では、それが有効的である、とされているので、一応専門知識を持つ彼らとしては、自分を頼ってくる人たちを助けてあげたいと言う気持ちが、どうしても働いているんじゃないかなと思う。

しかしながら、仕事が多忙極まっているために、新しい知識を入れたり、疑っても実験や調査をする時間が確保できないのではないかと思う(もちろん気力も)。


個人病院を開いている人なら、人件費や経費等もかかるしもちろん税金も重くのしかかっているので、何とかやっていくために続けざるを得ないという状況も拍車をかけているように思う。


特にワクチンに関することについては、医者に知識をつけてもらいたいのだけれども、どうしてもそれが望めないと言うのならば、やはり…多くの国民がワクチンのデメリットを知り、ワクチンを打たないようになってメジャーではなくなる…という方向になっていかないと、どうしても変わらないように思える。

メディア等は、その性質上、話題性のある、耳目を集める事を取り扱うことが多い。

現在の流れでは、良い方向かどうかわからないけれども、SNSでの話題性が大きくなって、そこからメインメディアに波及して、視聴者に伝わり、個々の行動が変化して行くと言う流れになりそうだ。

問題は、それぞれの段階に移る途中で、個々のフィルターに入り、解釈がそれぞれ違うものになるということ。

その結果、統一して同じ所へ向かうわけではなく、バラバラに放たれる。

多分、予想もしていない方向へ結果が振れることもあるんじゃないかなぁ…。

そこから、何か『学び』を得て、向上するためにそれを生かすことができるのか…そういうのが問われているように感じる。

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