2024年1月29日月曜日

陰謀論について最近考えたこと

 私もしばらく前までは陰謀論にどっぷりとつかっていた身なので、別にそれは悪いことじゃないのではないか、と今でも思っている。

なぜならば、陰謀論に触れることで世界や社会の見方がちょっとだけ変わり、別の視点からものを見ることができるようになるからですね。

そうですねー…スピリチュアルで言うところの『少し深くなる』と言うのと似ているような気がします。


私のここ数ヶ月での陰謀論の捉え方は、ノスタルジーか懐古主義の残骸なのではないかと考えている。

陰謀論や真実系での電子レンジの音は相変わらず『チーン』だったりします。

ここ5、6年のものを見てみると簡単なメロディーラインが流れたりするものが主流になっているように思います。

でも陰謀論を知ることで電子レンジの出始めはこうで〜とか、普段はあまり考えもしない電子レンジのもの温める原理について、一時的とは言え関心を寄せることができる。

一時的とはいえ、関心を寄せることができる。

これは、普段使っていない脳みその領域を使うことでいつもとは違う新しい刺激を脳に与えることができると言うメリットがあると私は考えている。


もう一つの、割とありかなと思われる陰謀論の捉え方としては、『原理を知らなくても使用することはできる時代だからこそ、教養としてもしくは、取扱説明書の注意書きを理解するために』という側面もあるように思う。

もしくは…現代における『トリビア』にも代わるものかもしれない。


これまで書いてきたように、私のスタンスとしては、別にアリなんじゃないか、ということ。

本人の経験になるなら、『すべては血となり肉となる』とすればいいじゃないかと言うこと。

現在の私は、陰謀論から少しだけ距離を置いている感じですかね。

真実系の話も、結構面白いものも多いですよ。

スピリチュアルも、少し距離を置いて付き合えたら、得られるものもあるかもしれませんね。

結局のところ…年月は流れるし、大半のいわゆる『大衆』がこの国を支えて、この国のブームを作って、この国の世相を作っていくものだから…。

戦争でどこの国が勝ったとしても、そこの土地で暮らしている農民は所属が変わるだけで、ずっとそこに暮らして畑を耕しているのと同じことだから。


農民からすれば、税金を納める相手が変わるだけ。

税率がちょっと低くなったら、『いい領主様だ』と、なり、税率が高くなったら、『ひどい領主様だ』となる。

ちょっと上からの言い方になるけれども、この例えで出てくる農民は、土地を放棄して別の国のところで農民になるという選択肢もあるはずなんですが、農民の価値観においては、この土地は先祖代々耕してきた大切なところなので、もしくは、ここの土地で農民をする以外の選択肢を知らないがために、『他の土地へ行く』という選択肢が、そもそもないのかもしれない。


ちょっと話は変わるけれども、日本は島国だとよく言われる。

日本人はもの知らずだとよく言われる。

鎖国政策を昔していたからか?

陸続きで他の国とは接していないからか?

それとも、特殊な事情で情報の封じ込めが行われているからか?


最近、物価が高くなってどうにかしてくれ的なことを政治家が言われて、『慣れろ』的なことを発言したことが叩かれているという認識が私にはあるのだけれども、叩いた人たちはもしかしたら、世界情勢について全く関心がないのか全く無知なのかもしれない。

一応テレビや新聞などでも、中東情勢を伝えてはいるし、『フーシ派』という文字が紙面に大きく掲載されているのも、見かける。


『物価が上がっているんですどうにかしてください』と政治家に言われても、手に余ることだし、世界を眺めてみると、日本よりも物価が高騰している国も複数ある。

どうしても日本でなければいけないわけではないのならば、もっと物価の安い国に移住すればよいのだ。

現在では、国交も結ばれていて、正式な手順を経れば外国に行くこともできるし、外国に住むこともできる。

もちろん、そこに大きな勇気や費用がかかる事は否めないけれども…。

その選択肢を放棄していながら、文句を垂れる事は、その選択肢を知っている人からすれば、ただの甘えに外ならないように思う。

今後は、ますます物価が上がることがかなり前から予想されている。

陰謀論や真実系などに触れている人たちは、そのことは、とうに承知だ。

だから備えている。


日本は火山大国で地震大国なのだけれども、他の国に比べて(あまりに頻発しているゆえに?)国民は地震慣れしていて、『まぁ何とかなるさ今までも何とかなってきたし』と考える人たちも多いようだ。

日常を壊したくないという正常化バイアスが無意識的に働いているとは思うのだけれども、備えている人たちから見れば、あまりにも無知に思える。

一昔前のその界隈では、『お花畑』と揶揄されているのも納得できる。


一般の人たちも、そろそろ自分たちの置かれた状況を俯瞰して見る必要があるのではないだろうか。

状況は大体上に書いたけれども…。

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