2017年8月29日火曜日

wishという呪文

何かのTRPGに、wishという呪文がある。
日本語訳は、願う。

その呪文には、自分の願いを添える。
GMは、可能な限り悪意のある解釈をして、その願いを叶える。

これはなんとなく悪魔に似ている。

悪魔は嘘はつくことができない。
けれど悪魔は、嘘をつかない代わりに
話を逸らしたりして本当のことは言わない。

2017年8月28日月曜日

私的『ヴェニスの商人』考

ヴェニスの商人という話がある。

ヴェニスの商人
(「SOGO_etext_library」より)

話を展開する前に、この話はキリスト教が
普及していた時代に書かれたもののように思えます。

この話の主人公であるアントニオの親友
バサーニオという”気立てのいいヴェニス人”は
身の丈に合わない派手な生活をし
親から受け取った遺産を食い潰し
更に今度、お金持ちの娘と結婚して
自分が遊んで暮らすお金を手に入れる計画を立てている。
(娘の気持ちは書かれていない。
 本文にあるのは、あくまでバサーニオ視点での話。)

この時点で、こう…なんというか…
ろくでなしですね。
この時代の貴族はこういうのが普通、と
言い切っている物語の語り手もどうかしていると思うし
アントニオもろくでなし貴族と結託しているのが
そもそも私の倫理観に合いません。

キリスト教徒とユダヤ教徒が同じ話に出てくるときは
必ずと言っていいほどユダヤ教徒が悪人側です。
逆にキリスト教徒は善人として扱われます。
それは背景に、神との新しい約束を結んだ
キリスト教が広まっているので
古い約束の民(ユダヤ教徒)は、もう祈っても救われない。
なぜならこの新しい約束が有効だからだ。
新しい約束をしたキリスト教徒が
救われるに値する選ばれた民であり
ユダヤ教徒は神に見捨てられたダメな奴、という
すごく偏見に満ちた思想が時代背景にあると考えるのが
適当だろうと私は思う。

まずアントニオは、どうしてバサーニオと親しく付き合っていたのか。
バサーニオは金食い虫だし働かないしお金が欲しくなったら
アントニオにたかってくる。
アントニオは船を使った貿易商人。
金を金をと無心するバサーニオにあげる様子に躊躇が見られない。

『バサーニオがお金に困るとアントニオは必ず彼を助けた。
 そのさまはまるで2人が1つの心と1つの財布を
 共有しているようだった。』

同じキリスト教徒同士だから…という理由だけではなさそうです。
もしその理由ならば
他の貿易商人もバサーニオにお金をあげて
バサーニオはお金に困ることなく一生暮らしていけるはずだからです。
ここに魚心あれば水心的な何かを感じます。

アントニオにとって大きなマイナスの出費のはずなのに
どうしてどんどんお金を都合してあげるのでしょうか。
また、お金の無心がなんども続いているのに
どうしてお金を更に都合してあげようと思うのでしょうか。

アントニオにはなくてバサーニオにあるものは権力です。
貴族という家柄。
下の階級であるアントニオが貴族のバサーニオに
金も身も惜しまずに尽くさなければならない
という美学でもあったのでしょうか。
他のキリスト教徒の商人がバサーニオと親しくしてはいないことから
それは違うことだと分かると思います。

アントニオも商人なので、お金の動きに目敏いはずです。
バサーニオと最も親しくすることで
バサーニオのために使ったお金よりも
もっと大きな利益が上がることを知っていたから
バサーニオの浪費に目を瞑っているのではないでしょうか。

そう、例えば…
A国との貿易権や
Bという品物の貿易権
を貴族であるバサーニオが自由にできる立場だとしたら…。

アントニオの場合は我慢をしている方向の
目を瞑っているというより
むしろ積極的に提供している方向がしっくりくる印象です。

さて、現代はイスラム教が世界宗教の1つになっています。
イスラム教にとってはキリスト教は
ユダヤ教と同じく古い約束の民のはず。
現代日本では、残念なことにイスラム教の民
主体の視点から見た文学作品に
お目にかかることが少ないように感じる。
現代日本がキリスト教寄りの立場にあるからイスラム教主体の話が
入ってくるのが知らないところで制限されているのかもしれない。
もしそうなら本当に残念なことだと思う。

2017年8月27日日曜日

包丁の研ぎ方

1)砥石を30分以上水に浸けておく
 (水道水でも問題ないとのこと)
2)砥石の長い辺に対して45度に包丁をおく
3)刃の背を指一本ほど持ち上げる
4)その状態を保持して研ぐ
5)返しができたら刃の裏側を研ぐ
 (いわば金属の削りかす)
6)こちらも返しができたら刃のおもて面を1度だけ研ぐ
 (これで返しを取るそうです)

ポイントは4のところらしい。
研ぐときは砥石の表面が
いつも濡れているようにしておくとよいらしい。
これはスキルなので、ポイントを押さえて練習をすれば
素人でも包丁を研ぐことができるようになるということだった。

教えてくれた職人さん、ありがとうございます。

ちなみに、包丁を研ぐタイミングは
トマトの皮がうまく剥けなくなったら、ということでした。

私的『トンボの産卵』考

カシャっというかどうかは、その瞬間を見たことがないので
なんとも分からないのですが
トンボが番って卵を産んでいる。

車のフロントガラスや太陽光発電のソーラーパネルに
盛んにトンボが卵を産み付けている。
異様だと思う。

そこは水が近くにあるわけではないのでそこに卵を産んでも
卵は焼け焦げてしまうから。

トンボは複眼を持っているから、私たち人間に見えている世界とは
違う世界を見ているんだろうと思う。
同じく複眼を持っているのは蝶だけれども
蝶は紫外線も視覚化できるのだそうな。

昆虫の「目」にはどう見えている?不思議な視覚の世界をのぞいてみよう
(「目ディア」より)

この蝶のようにトンボも人間とは違う世界を見ているのだと思う。
フロントガラスやソーラーパネルと、水面とがトンボにとって
同じように見えるのではないだろうか。
トンボが次の世代を繋いでいくために
トンボが水面とフロントガラス、ソーラーパネルとの違いを
認識できるように、人工的にでも、ここは水面じゃないですよ〜
とトンボに分かるような目印を入れるとよいのではないだろうか。

トンボに関連して、少し前に読んだ漫画に
なんかトンボに関することが
書いてあったようにおぼろげに記憶している。
で、気になったので検索をかけてみた。

Yahoo!JAPANの知恵袋によくまとまっている話があったので
こちらにリンクを引きます。
トンボの暗示

虫は人の魂を載せて運ぶ使者、という言い伝えがあるようですね。
別の漫画では亡くなった母の骨壷から
蛾がもぞりと這い出してきて…と言うのもあったと思う。
タイトルは忘れたけれど、そういう漫画を読んだことがある。
あとは、有名どころなら…『悪魔の花嫁』に
ヴィーナスが白い蝶に姿を変えて
飛ぶシーンが幾度となく描写されている。

虫の知らせっていう言葉も、そういえばありますね。
イメージ的には、不吉なことがあるよと知らせてくれる感じですね。
いいことがあるよと教えてくれるケースもあるのでしょうかね。

話は変わるのですが、面白い話を聞いたことがあって
人間はいいことを起きる前に教えてもらえると
付いてくる結果を当然、のように思うそう。
恩を忘れてしまうのでしょうかね。
いやいや、私だってその可能性はないわけではないので
いつだって持戒しないとですね。
逆に、悪いことが起きたら〜〜のせいで、と
思っちゃうものらしいです。
気をつけなさいよと教えてくれたのに、それは無いよ〜って
思っちゃう気持ちもわかります。

エンドブレイカー!というゲームがあった。
人の目を通して、少しだけ先の未来が見えるという
設定がある主人公たちエンドブレイカーは
悲劇のエンディングを見つけては
そのエンディングを壊すために立ち向かうという
透視や予知能力を持っていて、更に未来を変えることができる
という能力を持っていた。

今はそのゲームは区切りがついて
ゲームとしては更新がなくなっていますが
5年くらいを通してそのゲームをやってきて
だいたい悲劇を壊すのが多かった。
コンテンツ的にもシナリオ的にも戦闘シーンを入れる方が
扱いやすかったのだと思う。

で、何が言いたいのかというと
人の死という悲劇さえ防げれば
あとは悲劇になり得ないのでは無いかと
いうことをちょっと考え始めている私がいる。

マリオでいうなら、小マリオが死亡する事柄がなければ
あとは山あり谷ありでも
人生どうにか生きていけるのではなかろうか。
それは幸せな範疇に入るのではなかろうかと
思ったことでした。

ピンポーンの追記

記事を読み直していて面白いことに気がついた。

ピン・ポーン
(シ)(ソ)

なのだ。
どういうことかと言うと
シソ=紫蘇

紫蘇の蘇はお屠蘇の蘇
蘇は蘇生の蘇だから、蘇(よみがえ)るってことですね。
紫蘇の紫は、紫=死かなぁ。
冠位十二階なら紫は上の方の位のはず。

ありました。

聖徳太子の冠位十二階
(「歴史で年代ゴロ合わせ暗記」より)

濃紫 薄紫 濃青 薄青 濃赤 薄赤 濃黄 薄黄 濃白 薄白 濃黒 薄黒

左にある程、位が高いのだそう。
紫蘇の葉を思い浮かべたら色は濃紫ですね。

いや、ただそれだけなんだけど。(笑)

ピンポーン

ピンポーン
と、玄関のチャイムが、なったように感じた。
時計を見ると朝の9時過ぎ。
昨日のことだ。

私は寝ていて、うとうとしていたようで
レム睡眠の時だったのだろうか。
はっきり聞こえたので誰か来たのかな。
主人はぐっすり眠っているようだし…。
とりあえず慌てて服を着て玄関に出る。
今日届く荷物はなかったと思うけれど
でも近所の人かもしれないし…。
でも、この時間に?

扉を開けたら、何もなかった。

今日のしばらく前、11時頃に
珍しく昼寝をしていた主人が目を覚ました。

「あれ、さっきピンポーンって鳴らなかった?」

いや、聞こえなかったけど?
主人はまた眠ってしまった。

さっき正午の放送が鳴っても主人が起きなかったのは
丁度ノンレム睡眠の周期に入っていたからだろうか。

なんとなく、心の中で『おめでとう』と声をかけた。
理由は、うーん…本当になんとなくなんだけど
そうだな…なんとなく、主人も次元上昇できたんだろうなぁ
と思ったからだと思う。

携挙の時に、神という存在は
その人にだけわかる知らせを与えるのではないかと
なんとなくそう思う。
小さな不思議。

もちろん、そうなのかどうなのか
蓋を開けて見るまでは分からない。
もしかしたら違うかもしれない。

思い浮かんだ曲
【歌ってみた】『スカイクリーパー』
(「ニコニコ」より)

この記事を書くにあたって
玄関のあの『ピンポーン』って
チャイムでよかったよね?
と、確認する意味でweb検索した。

具体例も写真で上がっている分かりやすいサイトがあったので
リンクを引きます。

ベル、チャイム、ブザーの違い
(「違い.com」より)

チャイムは、鐘や鈴の中でも音階があるもの。
またはそれに似た音を出す装置のことらしい。

ピンポーン

ピン ポーン
(シ)(ソ)
だからチャイムという認識であっているらしい。

私的『水果』考

スイカの種。

スイカの種は黒色だと思いがちだが
薄いクリーム色のものもあるし
黒と薄いクリーム色のまだらのものもある。

薄いクリーム色の種は皮が柔らかかったり薄っぺらかったり
厚みが足りなかったりする。
未成熟の種だ。

それでいうなら、まだらのは成熟途中といったところだろうか。
全体的で黒色、これが成熟した種だろう。

黒だけ選って、あとは厚みを見たり
つやつやしたものを選ぼうかなと考えている。

子供の頃に食べたスイカの種は、まだらのものが少なかった気がする。
気がするだけかもしれない。
そうじゃないかもしれない。
スイカという商品を長持ちさせるために
早めに収穫して追熟(?)させるためではないだろうか。

消費者の手元に一番美味しい状態で届けるためという話はあるが
実際どうだろうか。
果物として一番美味しいのは
恐らくスイカの実が完熟した時期だろう。

完熟したスイカを見分ける方法は2つあるようだ。
1つは、昔からある方法で、表面をコンコンと叩くと
中の状態がわかるというもの。
うろ覚えなんだけど
よく響くほうが中にすがあるような
中で実が割れているよう感じで空洞がある方だったと思う。
なもんで、お年寄りとか、農家の方とか
そういうのを知っている人はスイカの表面をコンコン叩く。
しかしながら、昨今はスーパーでスイカを叩くと
商品を傷つけちゃいけないよ、と主人に注意される始末。
いやいや、さすがに割らないから、と苦笑いで言うしかない。(笑)

もう1つは、スイカのツル(蔓)を見ること。
蔓がしおれていたら食べ頃。
これは恐らく産地からの長距離輸送が可能になってから
考え出された生産者の苦渋の策なのではないでしょうか。
考え出されたこの頃にはきっともう
スイカをコンコンと叩いて判断できる消費者が
少なかったのかもですね。
出回っているスイカをみると、蔓は実の根元から切られて
いるものが圧倒的に多いようです。
贈答用の高級なメロンなんかだと
蔓がついているものもあるみたいだけれど
スイカではほとんど見かけない。

話は変わるがスイカは、私は個人的に水果だと思っている。
スイカの英語は、watermelon だ。
西瓜とも書くので
瓜科の植物で西の方角から来た植物なのではあるまいか。

スイカは本当に甘い。
商品価値を上げるために糖度を高くしようと
努力されている農家や品種改良のおかげだろう。
スイカは本当にみずみずしい。
瑞々しいというよりも水々しいのだ。
口に入れると溢れる果汁。
スイカは手を加えずに食べるのが本当に美味しい。
塩を振らなくても、十分に美味しい。

昨今は、熱中症対策にスイカに塩を振って食べましょう
という話があるようだけれども
普段の食事で体に必要以上の塩分を摂取していることを考えると
塩を振るより食事をしっかり食べたほうが
何倍も効果的なのではあるまいか。

ちなみに塩は塩化ナトリウム(NaCl)。
これの Naイオン が Kイオン とのバランスを
体の中でとっているのだけれども
Naイオン が多く取りすぎたら
バランス整えるために体はなんとかバランスを一定に保とうと
調整を図るんです。

2017年8月20日の時点では
・慢性的なナトリウムの過剰摂取は高血圧の原因とされるが
 そのメカニズムは未解明である。
(「元素118の新知識」講談社より)

この分野は基礎研究と言われる分野だと思うのです。
こんなに高血圧に苦しんでいる方がいるのに
その原因やメカニズムの解明に
乗り出そうという向きはないのでしょうか。
国の予算がつかないから?
解明されてしまったら高血圧の薬が売れなくなるから?
医者が要らなくなるから?
研究者も医者も、お金儲けのために働くのは
人としてどうかしていると思う。
そりゃぁね、今の世界では
お金がないと暮らしていけないんだろうけれど
そんなにたくさんお金って必要なものだろうか。
自分に必要なだけあれば
それで十分だと思うのです。
医者もお金が足りない、っていうけれど
そもそも医者が多すぎるから
限りある資源である患者を取り合うから
相対的に収入も減るんだと思うんだよね。

お金が足りないっていう感覚があるのは
相対的な感覚だから足りないって思うんだよね。
お金を持っているからという理由で
あれを買ったりこれを買ったりするから手元のお金がなくなるのだし
お金がなくなったら”足りない”っておもってまたお金を稼ぐ。
で、お金がまた手元に入ったら
今度はあの人よりいいのを買おう
あの人よりいいのを買って自慢しよう
なんて欲が出て来てエンドレス。
マスコミも視覚刺激を使って煽るし
その商品を販売している会社も他人と比べさせて
劣等感を刺激して購入させようとする。

医者が多すぎるのは学歴社会だからだろう。
学歴社会だから社会に階層というか順番ができてしまう。
運動会の徒競走では1番になった人に商品がもらえたりするのも
受験で1番上と言われる大学に合格して官僚になるのも
お金がいっぱい手に入って天下りもできるという
甘い商品があるからなんだろう。
東大には行けない(いく実力がない)から医者にでもなるか。
そういう人がいっぱいいる。
狂ってる。

あぁ、ダメだなぁスイカのことを扱う記事を書くだけのはずだったのに
やっぱりこういう話になってしまう。
社会が悪い、世間が悪いという論は、こう…
根本的に何が悪いかを言い表せない子供が
もやもやした心の持って行きどころとして言うような
子供じみたような感覚がある。
まぁ、この感覚が悪いとはこれっぽっちも思わないけどね。
だって、実際に悪いのはこの社会。
いや、”社会の仕組みを仕組んだモノ”が悪いと思う。

私の知っている知識の中では、それは
ルシファー崇拝をしている輩。

話をちょい戻そう。
とりあえず研究者、医者は基礎研究をおこなってほしいと
私は切に願う。
本当に『病気で苦しんでいる人を助けたい』と
心の底から願っている良心があるなら
基礎研究で病気の仕組みを解明していくのが最優先だと
私は思う。

また話をちょい戻そう。
体は自分の体の状態を安定に保つために
体内にある過剰なNaイオンを
尿や汗にして排出しようとしているんです。
体がなぜ安定にしたがるのかの理由は
体の中の温度、浸透圧、イオン比などの
バランスを一定に保つことで
体自身が持っている体の機能を最適化するためだと思う。
温度は酵素の活動や免疫系に影響を及ぼします。
それから、浸透圧は体内の水分量の保持を通して
細胞に血漿を十分に行き渡らせることなどで
各細胞が十分にそれぞれの細胞が持った役割や仕事ができるよう
サポートをしています。
イオン比を調整するのは、神経系の伝達や筋肉の運動
それに加えて、各細胞がDNAから
必要な酵素や蛋白質を生成するための材料を
血漿から取り入れる手伝いをよりスムーズにするため
だと思います。

そもそも、熱中症にならないように
体が汗を排出して、汗の中の水(H2O)の気化熱を利用して
皮膚の表面温度を下げるのです。
Naイオンを排出するのは、そのついで。
それなのに”熱中症対策”と銘打って塩を盛んに取り入れさせるのは
本当にどうかしていると思う。

あれかな
NaClを多量摂取させることで高血圧にさせて
それで高血圧の薬を飲ませることが目的だったりして。
高血圧の薬は、神経細胞を犯す機構があるそうですからね。

ごめんね、私のおばあちゃん。
私は知らずに高血圧の薬を飲ませてしまった。
医者から言われたように頑張って毎食飲むようにと
小分けの袋に日付と朝・昼・夜まで書いていた。
だから認知症が進んだんだね。
本当に、ごめんね。

スイカはそのまま食べるのがいいと思う。
最近は、小ぶりな品種もかなり流通しているので
冷蔵庫の中に入るし管理もしやすい。

もしスイカを食べても甘味が足りないと感じる方は
食品添加物のより少ない調味料や料理を
選んでいってみてはどうだろうかと提案してみる。

そんな料理は味が薄いとあなたは言うだろうか。
それはあなたの舌が度重なる強い刺激に慣れすぎて
鈍感になっているのだと私は言おう。

水果は美味しい。
これに尽きます。