2019年4月8日月曜日

かけっこと音楽

私は足が遅い。
子供の頃から、ずっとそうで
運動会のエピソードはいつも
私の足の遅さを家族中に
よく笑われたものだった。

順位をつけるのだから
全員が1番になれるわけではない
というのは私の言い訳だったけれども
誰も取り合ってはくれなかった。
と、いうのも、祖父がすごく足が速かったらしくて
それに家族自体が慣れていたせいなのかもしれない。

バブルより前の頃は
町内運動会の徒競走の1番の景品は
『柄杓』だったり『鉛筆とノート』とかだったりしたらしい。
私は参加賞以外は、めっきり縁が無いのだけれども
当時は、おおーすごいじゃんって言えるくらい
すごい豪華な景品だったのではないだろうか。
それを、走ったら貰える的な感覚で当時のうちの家族は
(私の父とか祖母とか大叔父とか)
捉えていたのかもしれない。

運動神経と一般的にいう神経組織は無いそうだけれども
足が速いという遺伝子は
私には受け継がれなかったようだ。
というよりも、育つ環境要因の方が大きいのでは?
祖父の思い出話を聞くに
尋常小学校に上がった時から
学校までの数キロの道のりを走っていったとか
学校では忘れ物とかをしたら運動場を何周か走ることになっていたり
担任の先生とクラスの皆で2つとか離れた山まで走ったりとか
そういう走る話が多かった。
あの当時はWW2よりも前の話だから
そこそこ物はあったのだろうけれど
担任の先生自体が走るのが好きだったのでは無いだろうか。

私は、というと
そんな小さい頃のエピソードもあって
運動は、ほとんどしなくなってしまった。
祖父と対照的なところがあって
祖父は、すごい音痴だったらしい。
聞いたことはあるけれど、音が外れたまま構わず歌っていた。
多分自覚はあったのだろう。
孫のお願いしたその時以外は、祖父の歌を聞いたことがない。
手を打ってリズムをとりながら知らない民謡のような唄を
また別の時には時には戦時の軍歌を歌ってくれた。
今考えるとリズム自体は、ずれていなかったし
音の高さが変わっていくのを無視すれば
上手かったのではないだろうか。
ただ、家族からレッテルを貼られて
私の前で歌うのはきっととても恥ずかしかった事に違いない。

大叔父は民謡の歌手になればよかったのにと言われるほど
上手かったらしい。
まだ1度も聞いたことはないのだけれど
今度お願いしてみようかしら。

父はビートルズ世代の少し上、なのかな。
洋楽は知っていそうだけれども
中島みゆきのCDアルバムをくれた位には
邦楽の方に熱心だったのではなかろうか。
父によると、母はビートルズ世代だったのだとか。
小学校の先生だったので家に立てかけ式のピアノがあった。
聞いた話によると、小学校の先生は
全教科を教える必要があるそうなので
水泳もピアノも美術も工作も算数も国語も
なんでもかんでも教えなくてはならないのだそう。
今の私から見ても、スーパー・ウーマンだなぁ。

今もそう呼んでいるのかは分からないのだけれども
ママさんコーラスに参加していた。
練習をつけてくれたのは
多分学校の近所にお住まいだったからだろうピアノの先生だった。
『チム・チム・チェリー』を繰り返し練習していたのが印象的だった。

祖母は地区の公民館で
あっていた合唱グループに参加していたらしいと知ったのは
母が亡くなって、もう何年も後のことだった。
楽譜は多分読めてない。
ピアノもおそらく弾いたことが無いから怖くて触れない人だったろう。
文字は読めるので印刷された楽譜にある文字と
よく分からないオタマジャクシの記号を必死に目で追いながら
音取りをしてくれる先生の音と
周りの人が歌う音に合わせて歌っていたのだと推測される。
学校に行っていないということで
ものすごいハンディを負っていたのだと想う。
だから基本は耳コピー。
私も、大概はそうだ。

私は高校までは出たし
選択は音楽だったけれども
楽譜を真剣に読むようになったのは
ほんの数年前からだろう。
長崎市を離れて、少し離れた地区の公民館で
軽い合唱の集まりがあると広報に出ていたので
申し込んだのが、きっかけだった。

行ってみたら地域の参加者の方々の年代に流行った歌を
1部、もしくは2部で歌う会だった。
見渡せば70台がゴロゴロ。
必然的に知らない歌ばかりだった。
中盤の会から認知度の高そうな特撮系の歌が入ってきたりしたけれども
それは先生の配慮だろう。
大半の人にとっては
よく知らない幼稚な歌と捉えられただろうから…。
楽譜を配られてから
さぁ、歌いましょう、となる。
電子ピアノで音取りをしては頂けたのだけれども
他の人は(すでにその曲を知っているので)軽々と歌う中で
必死で楽譜に書き込みながら初回はついて行った。

2回目は、会が始まるより30分早く会場入りして
1番に楽譜を受け取った。
会が始まるギリギリまで
音を簡単に目で追えるように同じ音が続くところを四角で囲った。
次の段、次のページへ飛ぶ際の音の高低差が
どれ位になるのか、傾けた矢印とともに差分を記した。
ひらがなで振ってある歌詞を言葉として認識するために
漢字仮名交じりで情報に書き加えた。

2回目は始まっても追いつかなかったのを見てとって頂いたみたいで
3回目は、先生も早めにきて下さった。

世代間ギャップって、すごいよね、という話なのだと想う。
開国以降、日本は目まぐるしい変化をしてきたのに伴って
世代間の知識の差が大きくなったのだろう。
ちょっと視点を変えると
共有出来ていた知識の割合が減った
と、言えるのかもしれない。
別の言い方に変えると
刺激が増えた、とか、多様化した、とかになるだろうと想う。

今後は調和や融合が鍵になるのだという。
例えば
細分化されたあらゆるジャンルの音楽が
『音楽』という
ひとつのカテゴリーとして認知されていくのかもしれないし
例えば
祝詞(のりと)も、その内に『音楽でもあるよね』と
認知されていくのかもしれない。

キリスト教は信仰を音楽というカタチに乗せて
広く教義を流布することに成功したのだと想う。
クリスマス・ソングとか、大体皆、知っているし
口ずさめると想う。
ちょっとマニアックなのなら
『オラショ』っていう分野(?)も合唱でもありますし
そうでなくてもイベントの時に歌う歌とかも
沢山設定されている。

ちょっと話はズレるのだけれども
言霊信仰というのがある。
真名信仰と被る部分は多そうだ。
視覚的な分かりやすい例えを比較に出すなら『写真』。
以前、写真が、そこまで普及していなかった頃
魂を吸われるからと言って写真に写ることを拒否する人がいた話は
有名だと想う。
あの写真拒否は、前提として真名信仰が、あるのだと想う。
真名を別の人に知られると自己支配権を奪われてしまう的な
そういう話。
相手が悪意ある人だったら『千と千尋の神隠し』の千のように…。

『正体を失くす』は、酒に酔ったりして理性のコントロールが
聞かなくなっている状態のことだけれども
(理性の加減のパラメーターが個性を構成しているのかも?)
『正体を奪われる』は、なんというか、こう…受動的だ。
剥奪されるとか、こう…無理やりひっぺがされて奪われるような
ニュアンスが、いやん。
のっぺらぼうという妖怪がいるという概念が
日本にはあることも原因の1つなのかもしれない。
もう1つの原因は、写真の原理についての知識の無知。
ごめん、私も原理をよく分かってない。
あとは…日本人は特に…恥ずかしがり屋さんだから…。

思考が言葉を作って
発した言葉が次の思考を作る。
音を伴った言葉は波なので伝播する。
伝播することで他者にも伝わって次の反応が作られる。
だから言葉は言霊になる。

楽しい感じの音楽を『楽しい感じの音楽』と認識するには
お笑いにお約束があるように共通認識させる記号が
幾つか揃っていることと、聞く人それぞれに
『これが楽しい感じの音楽ですよ』という共通認識が構築されていて
それが符合することで『この音楽は楽しい感じの音楽なのね』
と、認識されるように想う。

私は、1人で歌っているのを聞かれることが恥ずかしい。
それはそれは、もう本当に恥ずかしい。
歌は言霊だからだ。
だから動画でも顔は出さないし
(曲のイメージを優先したいという意図もある)
だからこそ1人で歌わなくてもいい合唱をしている。

祖母には以前、1人では何も出来ない意気地無し
とディスられたけれども
別にいいではないか。

所属では頼りにされるから頑張る。
褒められると、面映ゆい。
どう反応をしていいのか、よく分からない。
採り上げられると、周りに申し訳ない気持ちにもなる。
上手く出来るか、期待と不安が入り混じった。

これが等身大のわたし。
歌が好き。
そんな1人の、まだまだ、人間、やってます。

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