2019年4月12日金曜日

ミュシャ展 マーメノイド イエルマリオ

ミュシャ展に行ってきた。
2019年の6月24日(月曜)まで
ハウステンボスの中の、パレス ハウステンボスで
展示があっているそうです。

パレス ハウステンボス内への入場料は、300円。
ハウステンボス内への入国料は
私が行った時の場合、ムーンライト4パスポート適用の時間だったので
5,400円だった。
まぁ、ここで5分待てば4,900円だったので
500円分は、お得だったわけだけれども
帰りのJRの時間を調べていなかったので、と言い訳してみる。
判っていても待つのがじれったい私は多分
待たずに同じ結果になったように想う。

胸元より上にアクセントというかヴォリュームというか
視点を誘導するのが特徴の1つだと想った。
現代にも通じる事だけれども
女性がイヤリングやネックレスを身につける理由の1つに
上に視線を集めるため、というのがある。
えーと、つまり…
『私を見て!』ということ。
イラストを見る限り、初期の頃の作品は
いわゆる中世ヨーロッパの華やかな
ファンタジーが展開されていた。
使用する布の量が多ければ多いほど
贅沢(で良い)とされた時代なのだろう。
モデルにされているのは、少なくとも農民…ではなさそうだった。
袖の感じや、しやなりとした優雅な身の収め方、仕草は
やっぱりかなり上流な人たちをモデルにしているのだろうと想う。
もしくは、当時の民衆が着たいな、と
憧れる理想の服なのかもしれない。
あー例えば現代日本で大正ロマンの服に憧れるみたいな。
懐古的なロマンチックで多分に幻想を含んでいて
それでいて少なくとも当時の民衆の心を
ぐっと惹きつけるデザイン。
あのイラストが多くの人の目に留まると
あの時代だって針子さんは沢山いただろうから
もしかしたらファッションのブームが起きていたのかもしれない。
そんな風に想像すると、結構楽しい。

胸元より上にポイントを持ってくる、そのもう1つの理由は
大量の無地の布を誤魔化すためだろう。
というのは、視線が散ると見てもらいたく無いものも
色々と見られてしまうからだ。
イラストに描かれる女性には無いものだけれども
例えば…足の傷のかさぶた、とか。(笑)

書きながら、ちょっとエロヒムの話を連想してしまった。
『傷は失敗の象徴だから』みたいなのがあった。
そうね…完成された美を描くイラストの世界には
それをテーマに採り上げるのでなければ
それは不要な存在だ。
私も今まで何人もキャラメイクしてきたけれど
わざわざマイナス要素になるものはつけなかった。
少なくとも私のキャラクターは
自分が演じる理想の私の姿であって
リアルが劣等感まみれなほど
あらまほしいと希う理想の自分は
美しく装飾するものだと想う。
自分のイマジネーションとセンスが許す限りにおいて。

話は変わるけれども、大分以前に
RO2オンラインゲームというのがあったと想う。
あれは、β版だったかの本格始動前で終わったはずだけれども。
あれに画期的(?)な概念が導入されていた。
付け黒子がレアドロップした。 ・×・;

泣き黒子とか鼻頭の黒子といったように
細かい部位が指定されているようで
装備すればするほどキャラが個性的(!?)になっていくという。
私は、流石に捨てた。
ゲーム全体が3D仕様だったので(めちゃ重かった)
2DのROのように数は狩れないし
戦闘にも時間が掛かっていたので
ドロップ率をかなり上げてあったのだと想う。

ギリシア辺りだっけな
古代彫刻とかに象徴されると言われているように
左右の均整のとれたプロポーションや構図が
やっぱり美しさの基本なのだと想う。
美しいと言われる顔も
パーツも並びも平均化するほどに美しく評価される。
端的な例は、ハーフ。
混血の人は面立ちが美しいというのは
有名な話だと想う。
まぁ、もちろんその大前提として
目立つ位置に黒子とかが無い事、があるわけだけれども…。

左右対称の構図が前提にあるからこそ
その後の時代に、それを崩すカタチが出て来て
NEWとなるわけだけれども
今の時代は、別の要素を取り入れつつ
それの再興が交互に行われて
さらにそこから分化して花を咲かせている。

例えば、意図的に左右の長さが違う靴下だとか
わざと片側だけに装飾がついているスカートとか。
ちょっとニュアンスは変わるけれども
もっと身近で分かりやすい例を挙げるなら
そうだなぁ…
ルーズソックスとか、かなぁ。
学生用の白靴下はある程度決まった型があって
きっちり真面目な印象がある。
で、ルーズソックスは、そこをわざと外したカタチにしてある。

ルーズソックスが発売された当初は
概念自体が無かったはずなので
学校の校則に『ルーズソックスは禁止』
なんていうのは、無かったはずだ。
流行った後に付け加えられた流れなのだから。
まぁ、私自身、履いたことはないのだけれども…。

〜〜〜
顔自体が個人識別的記号の集まりなので
ミュシャのイラストは、こう…
飾り立て過ぎているようにも想えた。
もちろん、美術の…特にデザインイラストの場合は
そういう美しさは重視されるものだけれど
現代の私から見ると、現実離れをし過ぎていて
だからこそあれを幻想(ファンタジー)として
どうしても捉えてしまう。
しかしながら、波動で表現されている全てのものは
受け取る側が持っているそれぞれのフィルターを通して
須く認識されるので
その作品をどう捉えるかに
正解は無いのだと想う。

〜〜〜
絵として、裸体で描かれるのは神で
人間は何かしら布を纏っているのだという話を聞いたことがある。
醜いから隠さなければならない、のだそう。
それが本当かどうかは分からないのだけれど
醜い部分は大体隠される。
ブルネットだったか、そんな感じの名前の(うろ覚え)装飾具がある。
(多分名前は違うだろう)
長い髪をまとめて、それで両耳を覆い隠すような形で用いる。
外耳の形はそれで個体識別が出来るほどユニークなものだ。
だから記号が多い。
なので、それを隠すことで平均化に近づいて抽象的になる。
鏡から我を外せば神になるのと一緒のことなのだろう。
いわゆるキリストが強烈な個性として逸話を残したのも
傷というエピソードが、あったからでは無いだろうか。
ロンギヌスの槍に聖骸布。
WW2では、その槍の所在の何如が
趨勢を決めた要因となっていたようだし…。
直接要因では無いものの
軍部の士気に大きく関わっていたのでは無いだろうか。
日本でいうなら、官軍扱いと認知されるのか
それとも賊軍として追われることになるのか、のように。
もっといい例えを探してみるなら…
天皇陛下の正当な血筋を示す証と言われる
3種の神器を持っているか否か、みたいな感じかな。

陰謀論で扱われている3種の神器は
一般的に言われているものとは違う形のようだった。
アロンの杖、マナの壺、十戒の石版。
日ユ同祖論が思想のベースになっているから、だと想う。
ぶっちゃけた話、一般人がふつーに暮らしていく上では
どーでもいい話だ。
まぁ、どの神器も取扱注意な代物らしい。
相手がエロヒムとか雷系の4次元存在らしいので
触らぬ神に祟りなし、が無難なのかもしれないなぁ。

ちなみにマナは真名井って言われているのだけれども
お米のことらしい。
日本人はお米が好き。うまー。
〜〜〜

ミュシャ展全体を通して見て、二重がとても多く描かれていて
大体そうだと感じた。
向こうの時代の実際の人々も二重の人ばかりだったのか
一重の人も混じっているけどミュシャのチョイスがそうだったのか
当時に生きていないので今の私では不明。
過去に行ったことがある未来人や
いわゆる宇宙人なら
そういうのを資料にまとめているのかもしれない。

日本人は一重の人と二重の人がいる。
細かく分ければ奥二重とか、多分色々あるんだと想うのだけれども…。
陰謀論の切り口で言われているのが
渡来系の、弥生人が一重なのだという。

以前に全然別口で長崎県を研究対象にした
頭蓋骨の本を読んだことがある。
その本によると、少なくとも
長崎県の住民の頭蓋骨の、まぁ、DNAは
多少偏りはあるものの、大体混じってる。
まぁ、長いこと大陸との交流口だった長崎を切り取れば
全国を見る指標になるのかもしれない。
あれを読んだ時ですら、JRも高速道路もあったのだから
国内でも人の行き来は(今ほどでは無いだろうが)
活発になっていたと想われる。

陰謀論では負のフィルターがベースになっているために
排他的に扱われるのだろうけれども
(もちろん彼らの理論や想いに理解を示すことはできる)
現在を俯瞰すると
そういう経緯があったので現在の日本人の顔に
豊かなヴァリエーションが出来ました
という結論に私的には落ち着いた。

乳酸菌の話でいうなら、だから現代に
ヨーグルトが発達したんだね、とか
そういう感じに落ち着いた。

まぁ、あれも捉え方次第で万華鏡のように見えてくる世界だから
知識の宝庫だし、面白くはある。

〜〜〜
ミュシャのは、流石にデザインイラストレーターなだけあって
1枚絵としてまとめるのが巧いなぁと想う。
特徴的なのは髪の毛先の配し方。
例えるなら唐草のように髪の筋をデザインとして
美的に昇華させてある。
文字のレタリングも独特だったけれども
数種類を使い分けていたのではあるまいか。
あとは足元の処理。
多分、本人には、こだわりがあったんだと想う。
そういうのができればなぁ、と想う。

植物のスケッチもあったけれども
デッサンが写実的。
いや、多分、これが基礎にして奥義だとか言われそうだけれども
私自身は、そっちの畑の人では無いので
そう言われても困る。 ・×・;

〜〜〜
対の作品が興味深かった。
幾つもの要素を対にしてある。
それに加えて、観る人に物語を匂わせるようなのも
面白いなぁと想った。

中期は、渡米して活躍されたのだそう。
人生の後半にしたいことがあったらしくて
それに向けて資金が必要だったから、らしい。
必要悪、みたいな感じだったのだろうか。
元の画風は残しつつも
世俗感に溢れた当時のアメリカの文化がイラストとして残されていた。
渡米して当初は
彼もカルチャーショックを受けたのでは無いだろうか。

後期は、祖国やアイデンティティーである自分の民族のために
私財を投じて描いたのだそう。
切手とか、お札とかにミュシャの絵があって
いいなぁ、と想ったことでした。

〜〜〜
デコルテを大きく開けた衣装も多かった。
あの辺りは記号も少なめで、イラストの上でも
なめらかな肌が美しい。
いわゆる中世ヨーロッパをぼんやりとイメージさせる服だけれども
だからファンタジーとして
よく使われるドレスのイメージと重なるのでは無いだろうか。

ミュシャ展を見てマーメノイドのキャラデザインを担当されていた
山田さんのイラスト(ティアラ)を想い出した。
あのゲーム自体も多分にファンタジーを含んでいるものだから
あの衣装と相性がいいのかもしれない。

ちなみに一番好きだったキャラはマーサ。
あれだけ親しく接していたのにも関わらず仲間にはならなかった。
ゲーム自体クリアはしてるので理由も何も分かるけどさ
今考えればあれ、フラグだったんだろうなぁ。

あとはムーン。
あれは一目惚れ。(ぐぐっ
あのこが私のシャチ好きの原点だと想う。

しかしながらあのゲームは
人魚といえばアンデルセンの人魚姫のみ知っていた私の
当時の漠然とした人魚観を
いい意味で崩してくれたゲームだったと想う。
ティアラの下半身とか
鱗あるけど海蛇みたいにぬるぬる蠢いてたし
あの膝辺りで必ずしも折れる形でなくていいのね、とか
柄もそうだけれど尻尾の形も
いろんなヴァリエーションがあってもいいのね、みたいに。

webで気になって調べていたら
ゲームアーカイブスで購入できるようになったらしい
とはいえ家はTV自体を撤去したので
そこから設備を整え直すのは面倒。 ・×・;
想い出だけで十分。
あったらあったで懐かしんでプレイをしてしまうだろうけれど
先の展開が解ってしまっているので
初回プレイ程は、どうしても楽しめないというのは
今迄に何度も経験したのだから…。

〜〜〜
山田さんのイラストとは
他でも出会っていたことがwebで検索して判明。
小野不由美さんの
『十二国記』シリーズのイラストを手がけられていた。

TWで私の好きだった絵師さんの1人に
高峰 名鳥絵師さんがいる。
主にダナイさんを描いて頂いた。

〜〜〜
帰りの駅で電車を待っている時に取ったメモから書き起こし。

ハウステンボス駅にて。
この春最後の肌寒い風が体温を奪う中
ハウステンボスの明りが水面の細波に反射したのが
とても印象的だった。
満ち潮の途中、薄明かりの暮れた空。
橋の向こうの静と、手前の動。

〜〜〜
あの空は薄暮というのかな、多分。
TRPGのルーンクエストの
イエルマリオ神の逸話として出てたように想う。
日没後のトワイライト。
儚い美しさに惹きつけられる。

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