子供の頃に同級生に、評価をするな、と言われた。
意味が分からなかった。
感想を言うことも許されなくなってしまうんだよ。
相手が出すものをただ黙って受け取るだけ。
そんなのは、変だと想う。
どんなに柔らかく言っても
どんなに褒めても
相手の受け取り方次第で、変わる。
だって、人は見たいものしか見ないし
聞きたいことしか聞かない。
そういう風に脳内フィルター補正がかかってる。
禁止することで他人から自由を奪って
彼らは楽しいのだろうか。
自分にとって嫌なことが減れば
相対的に楽しいと感じることはできるのだろうけれど
絶対的ではないと想うのだけれども…。
それとも、彼女も周りからそう押し付けられたから
お前もそうするのが当たり前なのだと当てつけに
もしくは彼女なりに至極真面目に
教えてくれたのだろうか。
私は本人ではないので分かりかねるが
迷惑だった。
感謝の言葉は、ごめん、マジ出てこない。
〜〜〜〜〜〜
唯々諾々と飲む、ナワナワな世界。
そんなものに先はない。
腐るだけだ。
失敗は発明の母というが、これは本当だと想う。
失敗を見直すことで、どこが悪かったかを検証できるからだ。
じゃぁ、そこを直して、そしたら成功するだろうか?
これを延々と繰り返して
1つのカタチになっていくものが本来だからだ。
どこが悪かったかを検証されるのが嫌、というのも分かる。
そこには責任が発生するからだ。
どこが悪かったか→それは誰が担当したのか→担当した人の責任
という図式があるように想う。
それ自体は本当だし、責任というのは確かに発生すると想う。
責任が怖いからみんなで押し付け合って
逃げてるのがこの現実世界なのだけれども
それじゃぁ、1歩も前に進まないのよ。
だからライトワーカーからひとつ進んだ人たちが
責任を自己処理しつつ活動してる。
それができない周りから妬まれつつ
同じ底辺にいてよと足を引っ張られつつ、出る杭のように打たれつつ
耐えながら必死で活動している。
彼らが報われる世界が早く来て欲しいと切に願う。
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