2024年2月19日月曜日

自己肯定感との向き合い方から。

 これは、一般的なことではなく、個人的なメモ。


専業主婦をしていると、自分自身の力では現金収入がない。

ずっと専業主婦をしていると、家庭から見て外貨を得ている人に対して負い目をどうしても感じてしまう。

知り合いに兼業主婦をしている人がいたりすると、さらに自分と比較してしまう。

さらに相手に子供がいたりすると、私は子供を持っていないので、なおさら惨めな気持ちになってしまう。

それは相手が悪いのではなく、自分が勝手に比較して勝手に自分が惨めな気持ちになっているから、そうなってしまうのだと思う。


しかしながら、この状況を打破するには、かなり長い時間がかかってしまった。

実現不可能な条件と実現可能な条件を書き出して、実現可能な条件を満たせるように、してみた。

私の場合は、主人と相談して、1日1回無条件で、お小遣いを500円もらえるという取り決めをした。

500円玉は一番大きな法定通貨のコインだ。

ずっしりと、重量感もある。


気分が乗らなくて、家事ができない日でも、500円。

具合が悪くて、家事ができない日でも、500円。

もちろん、頑張って料理を作れた日も、500円。


こうすることで、『自分自身にも価値があるのだ』と少しずつ少しずつ、思えるようになってきた。


そういえば、なぜ私がお金を得られないことで自己肯定感が下がったか、について先ほど少し考えた。

昔は、(といっても、一昔ふた昔以上前の事だが)専業主婦はごく当たり前だったと思われる。

しかしながら、社会の風潮として、女性も社会進出をし、お金を稼ぐ人が増えてきた。

正社員でなくとも、パートや、アルバイトで兼業する人もかなり多くなってきたようだった。

そんな中、私は専業主婦を選んだ。

選んだこと自体は、私の責任であり選択の結果だ。


選んだ理由は、自身が現代社会に不適合だと感じたからだ。

化粧もしたくない(する価値が見いだせない)し、朝早くも起きたくない(する価値が見いだせない)し、何より忘れ物が頻繁だ。

加えて、顔も自由自在ではないし、体系的にも別に美人でも何でもない。

しかも、ストレスを溜めやすく、ひがみ根性ときた。

自分で書きながら、そりゃ無理だわ、と改めて思ってしまった。

みんな、やりたくないところをどこかで妥協して、仕事に出ているのだろう。

生きる(生活の糧の代わりとなる金を得る)ために。


私は、実はも何も、『他の人と一緒』のことが好きではない。

何故かというと、そこにほとんど価値を見出していないからだ。

しかしながら、社会に出ている多くの人(と私が思っている人たち)はおそらく、『自分がみんなと同じ(仲間)』だと思うことで、安心感というか心の安定感を得ているんじゃないかと思う。

日本人の特徴といわれる価値観だけれども、もしかしたら、日本は、先進国の1つとして経済的に発展し、ものが豊かになっているのと引き換えに…。


少し話を戻そう。

私が専業主婦を選んだ理由の1つとして、祖母から、こういう話を聞かされたからだ。

『大学とかに行って結婚して、旦那さんよりも収入が高い女は、旦那を低く見て、家庭が不和になる。』

……今これを書きながらふと思ったのだけれども、これって、モンスターペアレントと言われる方たちにも当てはまるのではないだろうか。

(安直すぎるだろうか?)

『大学卒業後に就職して、子供を産んで、教諭よりも学歴が高い女は、教諭を低く見て、教諭を尊敬する事が無くなって、学校の方針等に噛みついてしまう。』


モンスターペアレントという言い方も、学校側が手に生えない親について一方的にラベリングしたラベルだ。

聞いた話によると祖父が子供の頃は、少なくとも教諭は『聖職者』という扱いだったらしい。

しかしながら、時代が下って、そうだなぁ… 20年以上前位から『性職者』なんて、揶揄されたりする向きもあったらしい。


昔は、教諭はインテリ層で、親は無教養というのがほとんどだったそうだ。

そういう意味で、親は、子供にいろんなことを教えてもらうために、教諭に尊敬の念を向けていた、らしい。

…そういう威光もあって、体罰も多く行われてきたそうだ。

祖父の話を思い出すに、『何かあったらグラウンドを10周させられたとか、学校の山の上まで往復させられた』などと言っていました。

しかしながら祖父は同時に、その教諭に対して尊敬の目を向けていて『でもその先生も一緒に走ってくれた。だから偉い。』とも言っていた。

続けて、今の人は口だけで…という小言は、ちらほらついてきたようだった。

意外と、その小言は大きいものかもしれない。


そして、今日もブログの管理画面のぱっと見のところが閲覧数0と書いてあるのを見て、ほっと胸を撫で下ろす。

人に見られなければ、それは全く価値がないのかもしれない。

しかしながら、誰にも見られないことで何かを言われることもなく、安心して頭の中の考えを垂れ流すことができる。

YouTubeをする前からだったけれども、見てもらえることや登録者数が増える事は、『動画を聞いてもらえた、気に入ってもらえたのかも』と思い、ちょっと嬉し恥ずかしかった。

私は流行に乗るのはだいぶ遅いらしく、ブログもピークを過ぎていたし、ニコニコ始めた時も、ピークを過ぎていたらしい。

その後にYouTubeを始めて、その辺からSNSを触りだして…そして結局、ブログに戻ってしまった。

ブログというのはウェブログ(weblog)のことで、インターネット上で綴る日記のようなものらしい。

今でいう5chでは、チラシの裏と言い方がされていた。


いろんな所のブログを渡り歩いてきたけれども、今のところは、日本人が使っている割合が少ないんじゃないかと思っている。

ここのブログの会社は確か…イギリスだったような。

その後、Googleに買収されているようで、Googleアカウントと連結されてしまった。

個人的には、もっとこっそりしたい…。

(土の中にいるミミズのように…)


だいぶ古い情報かもしれないけれども、日本で流行っているブログは、FC2ブログやティーカップブログ、Ninjaブログや、アメーバーや、mixiなどがあったように思う。

最近は…Noteブログというのも、よく見かけるようになった。

ブログをたくさん人に見てもらうことで、お金を稼いでいる人もいるらしい(アフィリエイト)。

そういう人は、おそらく…人から見てもらうために刺激的なタイトルをチョイスしたりするのかもしれないですね。

エンタテインメントの提供の一環だと考えると、別に悪くは無いのかもしれない。

しかしながら、自分としては、なるべく情報に振り回されたくないものだ。

0 件のコメント:

コメントを投稿