2019年3月13日水曜日

砂糖と経済

砂糖と経済は切り離して考えるのは難しいように想う。
もちろん、加工食品の多くに砂糖が使われているのだけれども
お土産、を考えたい。

観光として訪れた先で買うのはお土産。
配りものとしては、お菓子が一般的だと想う。
お菓子にはだいたい砂糖が使われていて
で、お土産品というのは観光客が落とすお金として
結構大きな割合を占めているように想う。
まぁ、もちろん、人によるのだけれども…。

長崎から福岡にかけて、シュガーロードというものがあった
と言われている。
長崎近辺の分は、地口みたいな言葉遊びの地元の歌が
残っている。

長崎は昔、海外と貿易をしていた。
輸入品に砂糖があった。
詰め込む荷と荷の間に詰め込めたからかしら、とか
想像すると楽しい。

平安時代に貴族に食べられていた甘いものは
里芋、と言われるくらい、遠い昔には甘いものは少なかった。
多分、数人を満足させるなら他にもあっただろうけれど
数千人単位を満足させるには
安定供給が難しかったのではないだろうか。
例えば、ぐべとかね。
平安より更に昔に、天皇が山に成る実を食べたのだそう。
で、「むべなるかな」(おいしいね)って言ったことから
ぐべ(むべ)と名付けられている実がある。
そんなに大きくないスーパーとかで、たまーに見かけて
「おお、ぐべじゃん♪」といって買って食べる。
アケビの仲間なのかもしれない。
食感は独特だけど、種ごと喉越しで食すと
割合食べやすいかもしれない。

品物を運ぶ人で、わざと袋を落として
砂糖を地面に落とす人がいたのだとか。
長崎歴史文化博物館で見た資料には
落ちた砂糖はお目こぼしがあった、ようなことが出ていた。
だから、機を見計らって袋を落とす…
なんてことも、割合多かったのではあるまいか。
落ちた砂糖は、長崎の市民に配られたのだとか。
売って儲けた人もいるのだろうか。
その人からお願いされて袋を落とす人もいたのではなかろうか。
それをしなくても長崎は貿易で栄えることは
できたのではなかろうかとも想うけれども
後付けだ。

中毒性でいうなら、砂糖とアヘン、どちらが中毒性が高いのだろうか。
その中毒性を知って貿易の材料にした海外の商人たちは
誰の喜ぶ顔を想い浮かべていたのだろうか。

あーなんか重くなった、やだ…。
砂糖がなくなってしまえば、お土産は無くなるのだろうか?
砂糖の入っていないお土産が新しく開発されるだろうか。
お菓子ではなく、形に残る物
もしくは形に残らないモノというカタチに
お土産は変わっていくのかもしれない。

ちょっと変わる。
薩摩芋はやっぱり最初は海外からの輸入品だった。
日本で栽培するにあたっては
青木昆陽さん…だっけ?が、尽力されたそう。
挿絵を想い出すと、水田のように水を張った中で
試験的に栽培している感じだったようだ。
雪が降って…みたいな感じだったので
もしかしたら江戸まで持って行って
そこで栽培の試行錯誤をしていたのかもしれない。
それとも、あの頃も氷河期だったのだろうか?

日本が島国だったからなのか
技術の伝来は外からだった。
(伝来と書き記す以上、外から来るものということは
 織り込み済みだったことに気付いて苦笑。
 内に起こるなら発見、発明とかの
 ニュアンスが伴うのではあるまいか。)
あばうとに…
大陸の島伝いに、そして外来船より。
交流に文化や宗教は付随して来るものらしい。
どちらが先に立つのかは
その時々で変わるものだろうけれども
キリスト教の伝来と共に砂糖も薩摩芋も
来たことには変わりなさそうだ。

さて、キリスト教はどんな存在だったのだろうか。
私の中でベクトルが揺れている。

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