2019年1月29日火曜日

日本と世界の繋がり 価値観 諦め

日本は或る意味、世界の中心なのだと想う。
地球の構造的な話は in Deep さんにお任せしよう。

スーパーには様々な国からの食材が並んでいる。
100円圴一のお店に行けば
また別の国の方々の手を経て完成した製品が並ぶ。
街に繰り出せば、様々な海外の料理店があるのだ。
また、海外からの訪問者も今は多いと聞く。

だから、世界の中心の1つの姿を日本は持っているのだと想う。

ありがとう、という感謝の言葉を伝えていくことで
もしかすると世界は、愛の溢れる
よりよい方向に変わっていくことができるのかもしれない。

〜〜〜〜〜
以前、TVで、とある東南アジアの国ではキッチンが無い
というのがあった。
もう少し加えるなら、出店文化だから
料理を家で作るという習慣が無いのだという。

いいなぁ、と想った。
そんな国に住めたらいいのに。
ずっと羨ましがっていた。

実は日本も、しようと想えばそれができる国だったと
つい最近、気付いた。
もちろん、対価は必要だけれども。

時々考える。
家で料理を作るのと、外食とどちらが高いのだろうか、と。
食材の用意、保管、作る手間と時間、
設備費、燃料費、後片付けの手間を
家で料理を作る場合には、考慮しなくてはならない。
考慮しない値段とで比較すると
外食の方が高くなるのだけれども…。

それを考慮しないというのは、こう…
主婦の働きに価値は無いと言われているようで
正直、嫌だ。
主婦も人だ。
人だから、動くのではなく、働くのだ。
その場所が家庭内という1つの小さな共同体なので
賃金という形でのお金が発生しないだけ。

夫婦共働きの家庭が増えている。
ほんとは、そうでなくても暮らしていけるのだと想う。
ただ、人間は欲が大きい。
そして、知らないことが怖いものだ。
だから、先の見えない人生に不安を覚え
貯蓄をするし、保険もかける。
今は、そこが肥大し過ぎているように感じるなぁ…。

物質地球では、物質を持っていることを幸せと感じるものらしく
感覚的に合わない。
日本では、皆と同じ、ということに価値を置いている人が多いと聞く。
そこに意味はあるのだろうか、と想う。

お金はエネルギーのようなものらしい。
巡ることで本来の役割を果たすことができる。

皆が口を開けて待っている好景気は
待っているだけでは起きない。
出さなければ、入らない。
廻らなければ巡ってこないのと一緒だ。

〜〜〜〜〜
僕たちはそのうちに日常に戻るのだろう。
たくさんの知識と、ほんの少しの違和感を携えて。
空を見上げれば沢山の仲間がいて
今日も心地よい眠りへと誘ってくれる。

人間社会との繋がりは、面倒だけれども
向こうにとっては必要なものらしい。
大半の人間は、アセンションに興味がないものらしく
こちらから話しても無かったことにされるので
もう自分からは言わない。
聞かれたら、教えてあげてもいい…くらいかな。
僕たちはただ、チャンネルを合わせれば
次元を合わせることができるようになっているので
それで『普通』を演じればいいのでは…?

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