2017年10月17日火曜日

神について〜循環するモノ

異星人も未来人も神なのかもしれない。

昨日、カテゴリー毎の神について考えたなぁと
考えを巡らせてみると、どうも
神っていうのはランクの名前のように思えて来た。
ランクにつけられた名称、ちょっと違う意味だろうけれど
「神」というカテゴリー…いや、これで合っているのかもしれない。
神という名の称号のような…あー…
そんな幾つかの要素が合わさった呼び名が
「神」というカテゴリーなのかもしれない。

それを考えると
今の人類よりテクノロジー、精神構造、体構造などが
遥かに進んだ異星人は、今の人類からみれば神ですし
また、未来人は、規模は違うだろうけれど
少なくとも今の人類よりは色々と進んでいると思われる。
また、地底人と言われる人々にも色々いらっしゃるだろうけれども
たとえアトランティス文明の生き残りであろうとも
巨人族であろうとも、また、そのような他の過去の文明の方であっても
今の人類よりも様々な面で上位の方達のようなので
やっぱり彼らも今の人類から見れば
「神的な立場」になるのだろうと思われる。

また堂々巡りになりそうだけれど
つまるところ
私たちにとって「神のように思える存在」は、いっぱいいて
宗教で例えるなら
多神教も認識としてはあっているし
「神のように思える存在」を個々ではなく
「神カテゴリー」を単体のものであると捉えると
一神教の「神(GOD)」と認識しても
矛盾がないように思えるように
「神」もまた1つなのだ。

1人ではない、1つなのだ。

1つのカテゴリーに所属する複数の存在
そのカテゴリーを指して神といい
複数の存在を指して神々という。

そして、神々を構成する複数のグループがあり
そのグループの一つを指して
異星人と言ったり
未来人といったり
地底人といったりetc…
私たちはグループの名前を呼んでいるわけか。

もちろん、自分で自分を神だと名乗るのは、ちょっと違うというか
慢心があるのかな、と思わなくもない。
「ボクは神に違いない」という猫の如く…。

私がそう考える理由としては
周りの人からそう言われるのは
周りからの評価で自分の恣意は入っていないのだけれども
自分でそれを名乗るのは
強く言えば、驕(おご)りが見えて、こう…私的には興醒めする。
というか、なんかそれ、違うんじゃない?
って思っちゃう。

そう思えてしまう私の視点から見ると
自分たちを神だと名乗る存在は、まだ欲というか
我欲が強いというか残っているというか
そんな風に思えてくる。

もちろん、欲がなければ生きることができないのだから
それはしょうがないのかもしれない。

ただ、私の基本的な考え方として
生きている間はどの段階でも成熟途中で
熟したらぽとりと自然に実が落ちるように
死ぬのではなかろうかと考えている。
熟したら、は、つまり、完成したら、ということだ。

なぜ死ぬのか。
完成した実を地面に落とし、次の類似する何かを作るため、かなぁ。
実が落ちて種から芽が生えるけれど
それは実をつけるためか
種を落とすためか
種を育てるためか
もっと多くの実をつけるためか
果肉を食べる存在を喜ばせるためか…
答えは一通りではない
そして、今のところ、およそ言えるであろうことは
それ自体が循環しているモノであろう
ということなのだと思うのだ。

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