2017年10月18日水曜日

認識の専門化 もしくは認識の詳細化について

人間というのはどうも、自分に近いと思うものが
はっきり区別できるようだ。

私たち人間と言われる生き物は
自分との距離が近い(心理的,相違点,遺伝的要素,距離,時間etc…)
と感じる度合いが強いほど
見分け、聞き分けなどのいわゆる五感の感度が鋭くなるようだ。
(同じ法則が当てはまるなら、第六感も鋭くなるかもしれない)

例えば
イルカのトレーナーは
担当しているイルカの個別認識ができるが
ショーを見ているお客さんは
イルカの個別認識ができない。

例えば
AKBのファンからみれば
自分が好きなメンバーが歌っているなら
48人が一斉に歌っていても
そのメンバーを見つけ出す事ができる。
しかし、AKBのファンではない人から見れば
AKBが歌っているね、とか、アイドルグループが歌っているね
という曖昧な認識となる。

これはもしかすると認識の専門化
もしくは認識の詳細化というものなのかもしれない。

好きこそものの上手なれ、とは
自分が興味を持った分野と自分との
心理的な距離を縮める事で
その分野について学習するという
いわゆる興味のない分野を学習する心理的苦痛を
緩和する機構があることを結果的にか道理的にか
示しているように思う今日この頃。

つまりね
親しみを感じていない人が異星人と遭遇しても
個別認識はできないんじゃないかなぁ、と思ったのです。

逆にいうともしかしたら
異星人が公に姿を表すのは
地球人全体が異星人に興味を持つとか
好意を持つとか親しみを覚えるとか
そういう段階に入ってからになるかもしれないですねぇ。

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