2019年3月22日金曜日

コブシの花と吉四六さん

コブシの花が咲いていた。
咲き始めではなさそうだったから
しばらく前から咲いていたのだろう。
子熊の兄弟が登って花を食べるような話を
子供の頃、教科書に載っていたのではあるまいか。

久々に吉四六さんにお会いしたので
メモ程度に何か残しておこう。

2800年頃前(およそ縄文時代後期)の鉄器が
あちこちから発掘されていること。
南方の諸島から日本人のルーツがありそうだ、ということ。
ガタスキー,石川県の水上の家の造りの話。
山窩(さんか)と呼ばれる、いわばジプシーのような
移動民が少なくとも島原半島全域にいたということ。
現在でも島原地区にも山窩の集団があるらしい、ということ。
山窩の住む地域を背振と呼んだこと。
島原城の元々の大手門が売り出されて小浜方面に移設されたこと。
猿石と呼ばれていた文化財が消失してしまっていること。
事実を事実と認めない権威の話。
キリストが福の神の話。
外港辺りにお住まいの霊能者の話。
『喜』の印象など。

背振山というのが佐賀県と福岡県の境辺りにあったと想うのだけれども
あそこは自衛隊の演習場があったのではあるまいか。
子供の頃に魚を食べに連れて行ってもらったものだった。
四国の狸信仰の話にも、通じるものがあるような気がする。
山女の話はどこで読んだだろうか。
山に惹かれて山の中に入っていく女性が多かったのだとか。

南方ルーツの話は、黒潮に乗って渡ってきたのでは、という
話があるのは聞いたことがあった。
大陸渡来説が現在では定説になっているけれども
陰謀論を齧ったことがある人なら日ユ同祖論もあるわけですし
日本自体が島国なものだから
ルートを1つに限ってしまうこと自体がナンセンスな気はする。

ちなみに吉四六書房は店舗としては閉じるらしいのですが
amazonで中古書の販売活動は続けられるのだそうです。
あのご主人の話をサロン的に聞けたら
10年位は退屈しなくて済みそうな気はする。
島原市と大三東の境辺りにお住まいなのだそう。

以前は榊原郷土資料館のご主人に従事されていたらしい。
島原の過去の資料は10冊その時に作られたらしく
その内1冊は、吉四六さんがお持ちなのだそう。
島原市の図書館には収蔵されていないのだそう。

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