2019年3月22日金曜日

rと甲羅干し

島原城の敷地内に島原文化会館という施設がある。
8年後に老朽化と耐震の関係で取り壊しが計画されているそうだ。
敷地内にあるものだから文化財という扱いらしく
改築や補強の工事ができないのだとか。

島原市の文化団体などで、文化会館を8年後以降も
可能な限り長く使いたい、という市民の意見書を
数を集めて提出するようにしているのだそう。

別の知り合いに聞いたところ
島原には、そういうのの音頭を取るリーダー格がいないのだと。
グループで進めてはいるようだけれども
途中で頓挫するのでは? とも。
そういう彼は、島原城の正門を復元したい
という考えを持っているようだった。
島原城は、今は車で登城できるように
観光用に新しく敷いた道がメインで使われている。
正門は、文化会館のある方角…。

少し前に、長崎市にある出島の正面の橋が
復元された話があったけれども
そういう話を聞いたものだから、うちも…と
なって心に火が点いたのかもしれない。
島原に来てから、大手門というのがあってね
みたいな話は、ちらちら聞いていた。
大手門は、正門とはまた別の門の話だけれども
今の島原城に復元工事をする際に
何らかの理由で大手門は復元されなかったのだとか。
惜しむ声が当時はすごく強かったのだと
何かで読んだか聞いた気がする。

彼自身はみなんめ(南目)の方の方らしい。
若い時は東京で30年ほど働いていたのだとか。
それから島原で活動をしているらいいのですが
建築の設計をされているらしい。
佐世保の骨董市の企画主催もされているそうで
この4月にも予定されているそう。
今年は客寄せに世知原茶を使ったお茶会を企画されているそう。
模型を造っちゃうのがこういう仕事をする人だなぁと想うのですが
見れば片面にrがついている。
聞けばどうやら障子でrをつけるらしい。
といっても竹素材ではないらしいので別のところで工夫されるそう。

島原の地元の方は、私にとっては親しみやすい方が多いのですが
彼にとってはそうでもないらしい。
新聞に名前が出ると、しばらくは近所からのやっかみが
続くらしい。
彼自体は島原に馴染んでいるし、地元のために
働いていらっしゃるのですが
そのご近所さんはもしかしたら
島原に住んでいる年数という定規だけで
彼を計っているのかもしれない。

以前、金物店のご主人から
島原は目覚めている方が多いよ、という話を聞いていたのだけれども
スピリチュアルでよく言われるように
全ての人がそう、というわけではない、ということみたい。
ちなみに今日は草亀の小さいこたちが甲羅干しをしていた。
浮き玉は水を吸って膨らんでいたけれど
あのこたちの口のサイズには大きすぎるような気がする。
柔らかくなったところを頑張ってつついて食べるのかな…。

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