2024年7月11日木曜日

魔女狩りとか

 魔女狩りの本を読んでいる。

最後まで読まないと感想を言っては駄目という向きもあるけれども、氣になった人が読めば良いと思う。

最後まで読んでから、になると自分の中での新鮮さも失われるから、なにも表現しなくなくなる。

それは、もったいないと思う。


ゲルマンとかバイキングが南下してローマを征服して以降訪れた暗黒時代に文明が廃れて文化も風前の灯火になっていた頃に、文化の拠り所としてカトリック教会組織が機能していたこともあって、当時は絶大な権力を掌握していたのだそう。

しかしながら内部での腐敗を見て嫌った人達が南フランスを中心に、いわゆる宗教改革(離反)を起こしてデモとかをしたことに既存のカトリック教会組織が権力でねじ伏せた。

それが魔女狩りの本質のようだった。

南フランスでは、自由な気質があったらしく、カトリック教会組織の圧力も緩かったのだと思われる。

元々カトリック教会組織では、魔女に対しては、破門あたりで許していた記録があるのに、魔女狩りの時期になると、疑いをかけられた人を拷問して、火刑にしたり、と命まで奪ったのだそう。

伝聞なのは、私が実際には見ていないから、というのは当然だけれども、本は自分の持たない知識を知るためのものだから、ですね。


暗黒時代は、焚書坑儒の時代とも言われる。

記録が無いから暗黒で分からない、という意味もある。

中国でも、焚書坑儒はされていたと思うので、その頃からしばらくは暗黒時代なのかもしれないなぁ。


個人的にも危惧しているのは、現在は医療が巨大な権力を持っている(当時のカトリック教会組織に相当)ということと、反ワクチン派が度々デモ(当時の宗教改革に相当)を起こしているということから強権発動されて医療版の魔女狩りが起こされるのでは無いか、ということ。


怒りは向こうにとっても利用しやすいパワー(フォース?)なので、集団でまとまって何かを起こすというのは、個人的にはどうか、と思う。

じゃあどうすれば良いんだよ、と挑発されても困るのだけれども…みなさんが得意な『無視』をあちらに向ければよいのでは?

選挙でもそうだし、お金のことでもそうだと言われているけど、理論的には納得しても、自分ひとりでは、となにも変わっていない人、多いと思う。


集団で声をデモとして署名として挙げても、多分伝わらないと思う。

伝えるには、ウェブのフォームや電話、手紙などで、該当の窓口に『意見』として伝えること。

『意見』でないなら『感想』とされて流されるように思う。

(そう思うのは、どこかでそういう趣旨のことを見たからで、実際に向こうの立場では無いから実際にはどう扱っているか分からないためだ。)


そうそう、しばらく前にコピペでパブリックコメントの数を稼ごうという人(複数かは、知らないか、とりあえず単数としておく)がいて、署名活動と同じノリなのかなぁ、と思った。

パブリックコメントは、法案とか改正案の形になった後で、国会に提出される直前の段階で国民に公に晒して(ネット上で公開情報)、広く意見を仰ぐという趣旨のものなので…例えば、ここはこういった風に修正するのはどうだろうか、とか、誤字の修正を指摘するとか、そのくらいの話なのだと個人的には思う。

法案そのものに反対なら、議決権のある国会議員に投書したり電話したりして働きかけるのが適していると思う。

その法案そのものを作らないで欲しい場合は、内閣府や各省庁の窓口に、Aについて進める法案は作らないで欲しい、とか、AではなくBという形で進める法案を作るのはどうか、と意見するのがスムーズのように個人的には思う。

もちろん個人的な意見なので、実際にはどれが的確なのかは、分からない。

そういうのに実際に携わっている人たちが、こうしたらいいよ、と広く国民に方法を伝えてくれたらいいのだけれども…。


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