2017年8月11日金曜日

私的『涙』考


涙を流す
人は、どんな時に涙を流すのだろう

大別して2つの場合に分けられると思う。
1つ目は、悲しい時に流す涙。
2つ目は、嬉しい時に流す涙。

悲しい時に流す涙は、別れに直結する。
身近な人の死に接すると悲しくて涙が出てしまう。
もっと言うと
自分にとって身近な人が死んで自分から遠くに行ってしまって
その人が、自分をもう助けてくれないと分かったから
自分を哀れに思い、悲しく感じる
だからその哀れな自分を慰めるために泣くのだ。

こう書いたらエゴではないか
と思う人もいると思う。
その通り、エゴなのである。

涙は心の汗と例えることがある。
人は、自分の心を支える人がいなくなった時に
不安になり、大いに傷つく(傷心)。
魂の形でいうと、存在がゆらぐ。
つまり不安定になるのだ。
だからこそ、涙を流して心の傷を癒すのだ。

2つ目の嬉しい時に流す涙は
共感した時に流す涙である。

嬉しいとは
自分にとって得られるものがあるから嬉しいのだ。
共感という視点から見ていくと
感動的な場面に遭遇すると
文字通り『心動かされる』のである。

同じ映画を見ても、途中で感動して何度も泣く人と
最後まで見ても泣かない人がいる。
感動して何度も泣く人は
その映画を ”自分のことのように感じることができる” のだ。

話は少し変わるが、
RPG(ロールプレイングゲーム)というものがある。
これは、自分が他人(ゲームの中の主人公)になったつもりで
そのゲームの中の世界を冒険したり
暮らすことによって過ごすゲームだ。
要するにこれは、子供のごっこ遊びの延長である。

あなたは親に言われたことがあるだろうか。
「その人の身になったつもりで考えなさい」
RPGは、これの練習ツールだと私は思う。

RPG(role-playing game)からgameのGを引くと
RPが残る。
RPは(role-playing)つまり、シュミレーションをすることだ。
その人の身になったつもりで考えること、なのだ。

RPGばかりを擁護するわけではないが
ゲームとはいえ、案外バカにできないものである。
おっと、話が逸れたかな。(笑)

映画をみて途中で感動して何度も泣く人は
自分が映画を見ながらも、映画の世界に入り込んでいて
映画の主人公になったつもりでストーリーを追っている。
その映画が恐怖・パニック・別れをテーマとしたものでなければ
その観客は主人公に共感し『心動かされ』
感動の涙を流すのである。

さて、私は冒頭で
>大別して2つの場合に分けられると思う。
>1つ目は、悲しい時に流す涙。
>2つ目は、嬉しい時に流す涙。
と書いた。

1つ目は
自分の心が不安定になるから涙を流して心の傷を癒す
と言えるだろう。
2つ目は
自分の心が共感によって心動かされ、涙を流す
と言えるだろう。

この2つの事象には共通項があるように思う。
それは何らかの事象によって
外部から自分の心に影響を与えられているということ。

ということはつまり
涙とは
外部からの刺激で自分の心に思わぬ影響を与えられたことで
自分の心(もしくは魂のあり方)を守るための手段
と言えるだろう。

人は、外部からの刺激で自分の心に思わぬ影響を与えられたことで
自分の心(もしくは魂のあり方)を守るために涙を流すのである。

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