2017年8月11日金曜日

私的『嫉妬』考

>心のどこかで ”あの人は自分達とは違うから” と
>違うところを探しては嫉妬したり、そこから嫌悪になったり
>さらに偏見や差別に発展するかもしれない。
>みんながみんな、聖人君子ではないのだから
>それは仕方がないのかもしれない。

今回は、ここに焦点を当てて考えていこうと思う。

嫉妬するということは、羨ましい気持ちが強いということだろう。
「あの人は、あんなことが出来ていいなぁ」
と思う気持ちなんだと思う。
仮に、ここをスタートラインだとすると
ここから
”私もあんなことができるようになるんだ” と、努力を開始する人と
”私には無理だから” と
思考をそこで停止させる人とがいるように思う。

手探りでも自分なりに努力を重ねる人は
時間がかかっても目標に近づくことができるだろう。
思考をそこで停止させてしまった人には
恐らく発展はないだろう。

羨ましい気持ちは、どこからくるのだろう。
自分が持っていないものを他の人が持っていると分かった時に
羨ましくなるように思う。
A君が、B君がアイスクリームを食べているのを見て
いいなぁボクも(あのB君のようにアイスクリームを)
欲しい(そして食べたい)、と思うようなことで
もう一つ例えるなら
学生が、クラスメイトがデートをしているのを見て
いいなぁ私も(あのクラスメイトのように恋人が)
欲しい(そしてデートをしたい)、と思うようなものである。

物を持つ持たないで、優越感と劣等感が心の中に生まれるのだろう。
A君はアイスクリームを食べているB君を見た。
恐らくA君にとって、アイスクリームを食べているB君は
アイスクリームを食べていない自分(A君)より
上の位置にあるように感じるのだろう。
それはB君がアイスクリームを食べているという事実を
目の当たりにしたからではないだろうか。
B君がそのアイスクリームを食べてどういう感想を持ったかどうかは
ここでは問題にならないのである。

見たのではなく、聞いたと置き換えてもこの感情が成立することから
A君にとって
『B君がアイスクリームを食べている』
という状態にあるということが許せないのである。
B君が本当にアイスクリームを食べたかどうかが
事実か否かに関わらず、この感情は成立するように思う。
更にいうならば
B君がアイスクリームを食べていないA君に対して
どのような感情を抱いているかに関わらず
A君は劣等感を感じることができるのだ。
B君にとって、アイスクリームを食べることができる頻度は
毎日かもしれないし、一生に一度かもしれない。
そのアイスクリームは高価かもしれないし安価かもしれない。
安価ならば、A君も買おうと思えばすぐに買えるだろう。
けれども、劣等感を感じるのだ。

アイスクリームが欲しいと駄々をこねるA君に
おかあさんは「よそはよそ、うちはうち」と言う。
要するに、家庭の事情(教育方針や経済状況)が違うから
我慢しなさい、ということである。
”他人は他人、自分は自分” とも言い換えることができるだろう。

仮におかあさんがB君が食べていたアイスクリーム(1)
とは違うアイスクリーム(2)を買ってあげたとする。
これは代替行為である。
おかあさんはA君にアイスクリーム(2)を食べさせることで
カテゴリーとして同じアイスクリームを
食べたA君が満足するだろうと考えたのである。
しかしながらA君にとってアイスクリーム(2)は
B君が食べていたアイスクリーム(1)とは違うものなので
心の中では満足できないのだ。

アイスクリーム(1)がもし安価で、A君のお小遣いの範囲内で
買えるならばA君はアイスクリーム(1)を
食べることができるかもしれない。
しかし、A君は別のお菓子も食べたいと思っていた場合
アイスクリーム(1)を買うか
食べたいと思っている別のお菓子を買うか
せめぎ合うのである。
どちらをより食べたいかを頭の中で比較して考えて
より食べたいと判断したものを買うことになるだろう。

さてお小遣いの範囲でどちらも買うことが出来たならば
A君は満足できるのだろうか。
A君は
B君が食べていたアイスクリーム(1)を食べることが出来たので
心理的にA君とB君は同じ位置にあるように一見見える。
(A君=B君)
しかし、A君にとって
B君が自分より先にアイスクリーム(1)を食べたこと
が気にくわない。
A君にとってはまだ、A君<B君なのである。
A君にとってはまだ、A君<B君なので
別の形でB君に対して優位に立とうと無意識に思ってしまうのである。

0 件のコメント:

コメントを投稿