2018年12月28日金曜日

視点の違いから見る『差別』と『区別』

お皿を洗っていて気付いたことがある。

濯いでも落ちない汚れがある。
水に浸かっていなかった部分のでんぷん質の汚れが
固まっていたから洗っても取れていなかったのだ。

だから濯いだ後、もう一度、水に浸す工程まで戻った。
理由は
そんな皿で料理を食べることを考えると気が滅入ったから。
それは、先日私が『差別』と書いたエロヒムの事と同じだった。
それに気付いた。

私にとって汚れが取れていないお皿は
『区別』する対象で
その理由は、記号的には、失敗の象徴でもあるしありうる。

エロヒムにとって病気や不具の人は
『区別』する対象で
その理由は、彼らにとってそれは
失敗の象徴という記号だからだ。

全く同じ事だった。
程度の差は感じるけれど
人間を作った彼らの視点になって見ると
人間はエロヒムと同等にはなり得ない。
そして、ヒト型の実験動物であり、観察対象であるがゆえに
エロヒムと同等や、それ以上の存在になることは
彼らにとっては許せないことだった。
(今は許せるかどうかは、本人達に聞いてみるしか無い)

私は、『差別』だと(受け取って)書いた理由は
私が人間側の立場の人間で
人間とエロヒムって、大して変わらないじゃないか、
だって同じヒト族だもん
位に捉えているのもあるのかもしれない。
(どの生命体も、生命体では無いものも
 同じ位価値があるものなので
 可能な限り、尊重していけるなら理想だと想うのだけれども…。)
あと、エロヒム側から見た(少し上に書いた)彼らの視点が
欠けていたように想う。

訂正して来ようかなと想ったけれども
訂正するほどのことはないように感じた。
あの本は書いてある出来事自体は事実だと想うけれども
『エロヒム尊敬フィルター』が
多大に入ったラエルが書いた本の内容なので
その時点で歪んでいるし
私自身、エロヒムを信奉しているわけではないし
それに、中性的な言葉を選ぼうにも
読み手次第というか、受取手次第で更に歪むことを考えると
訂正すること自体に意味があるのかも
だいぶ怪しいですし…。
と書きながらも『分けた』とか『判別した』とかの
表現ならどうなのだろうか
ありなのかも?
とか考えている自分がいる。


結論。 ・×・

■誰でも、身に傷のある者は近寄って、エロヒムの食物を捧げてはならない。
エロヒムにとって病気や不具は失敗の象徴なので見たくなかった。
(**人間とエロヒムとの間に価値観に違いがある。
  しかし、これはエロヒムが過去におこなった事の記録を
  エロヒムを信奉している当時の人間が記録したものを
  小野の雪が現代の人に対して読み易くしているので
  誤解を招くことを承知で補足表現をする。
  エロヒムは『奉仕させる対象を選んだ』。)

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