2019年1月10日木曜日

活字を読むという練習

活字を読む練習をしたことがある。
高校に上がってから2年間。
季刊のラノベ雑誌を次の巻が発売されるまでに
読んでしまうというハードルを設けた。

小学校の低学年の頃は学級文庫を読んでいたのだが
母の仕事の都合で転校してからは
学級文庫が無かったので読まなくなった。

中学校では図書館に足を運んだのは数えられるくらいだ。
ほとんどは『火の鳥』を読むために。
多分その図書室にあったと想うのだが
ミヒャエル=エンデの『果てしない物語』を借りて読んだ憶えがある。
かなり分厚い本だったが、確か一晩で読んだと想う。
興味深い本だった。

高校では活字がしっかり読めるようになってから
図書室へ足繁く通った。
読んだので覚えているのは太宰とハッブル宇宙望遠鏡の図鑑だ。
『空の名前』もあった。
『胡蝶の夢』は飽きた。

『空色勾玉』は、いつ読んだのだろうか。
時期を経て、2回読んだ。

家に『和泉式部日記』の解説本があって
母の目を盗んでパラパラと捲っていた。

『三国志演義』は吉川さんのと、別の人のものを読んだ。
孔明にスポットを当てた別の作品も読んだ。

『キノの旅』に、いっときハマった。
『Missing 神隠しの物語』が好きだった。
『夜魔』に惹かれた。
『断章のグリム』は、ちょっと合わなかった。

いっときは頭蓋骨から探る日本人のルーツ的な本も読んだし
皮膚についての科学視点の本も読んだ。

本を読みたいという欲求にも波があるのかもしれない。

タイトルから読む本を選ぶ場合が
私の場合は多い。
タイトルに掲げられるものは
その本の趣旨のメインテーマの場合が多いからだ。
気に掛かる、というのは、多分自分の興味がある分野だから。

興味があれば
ダウンロードやインストールのハードルも低くなる。
これは、いいことだと想う。

最近はソリが合わなくなってきた。
闇サイドの既成概念が鼻についたり
言いたいことは?つまり何?という本もあるし
ゲームのと同じように
先が読めると飽きるのもある。
文章表現として面白くないものは途中で止まってしまう。

TWのゲームには文章コンテンツがある。
自分のキャラクターが参加したそのシナリオで
活躍するリプレイが文章で読めた。
少なくとも自分のキャラクターが活躍するリプレイは
共通認識も太くできているので
読むのに苦痛を感じることがなかったので良かったのだけれども。
新作のを見ていたら…形式が変わったので
まとめて読めないのがちょっと残念だなぁと想う。
活字離れも、その原因の1つだろう。
ライトな形にたくさん変わっている。
多分入り口を浅く広くに選んだのだけれども
浅瀬から深海までたどり着ける人は
やっぱり少ないように感じてしまう。
でも、そんなものなのかもしれない。

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