2024年5月17日金曜日

思考の現実化を言葉にしてみる+α

 思考の現実化。

ほら、言葉にした。

っていうのは冗談。w


脳みそレベルで『トイレに行きたいな〜』と考えたら、トイレに行くためにトイレまで歩いて行ってズボン下ろして大なり小なりをする。

この一連の流れが一応、思考の現実化の基本的な例えになっていると思う。


催すのは生理的レベルのことで、それを実行する事で個体の維持や尊厳の維持が出来る様になる。

勝手な想像だけど、介護を受けるようになったら尊厳の方がズタズタになってしまうから荒れたり魂が疲弊したりするのかもなぁ…。

荒れるのは多分、過去の当たり前に出来た自分と比べて現状では思い通りにいかないことに過剰にストレスを抱えた結果、発散しているのかもなぁ。

そして諦めて認めてしまったら(そう認識してしまったら)自我が消える。

消えるというより、認識できなくなるとか壊れてしまうとか摩耗してしまうとか、そういう言葉がまだしっくりくるかもしれない。


催すレベルは普通に出来ていて、普通の生活に困っていない人だったらもうひとつ大きな思考の現実化に挑戦できるように思う。

例えば『魚の缶詰を1箱』買いたい、と脳みそレベルでなった時に、車がある人なら量販店で購入したり、電話で購入して届けてもらったり、通販で購入すると、手元に『魚の缶詰の1箱』が実在するようになる。

現代のシステムだと、流通貨幣があるので手持ちの分から適正な量を交換するとスムーズに実現するように思う。


不安があるなら対処法を考えて、1つひとつ実行してゆけば不安という大きな壁を乗り越えるための階段が1段ずつ積み上がっていくイメージかなぁ。


その不安を夢とかに置き換えることもできるので、その人がなにをしたいかによって方向も色彩もベクトルは変わるものなのだろうと思う。

起業して成功したいと考える人は、そちらに力を傾けるだろうし、プレッパー(備蓄する人)だったら、生き残りたいという方向に力を傾けるのだと思う。


何かに情熱を注いでいる人は、多分、その何かに対しての専門家みたいな感じになるのかもなぁ。


一応現代日本人に分かるレベルに訳したつもりだけど、krdmrnhthmrd…


+α

個人の夢や情熱はさておいても、現実に迫って来ている危機に対処するのは、必要だなぁと思う。

ただ、他の人はそれぞれの世界観の中で生きているので、言ってもねぇ…。(遠い目)


◆【行き詰まった時に聞く話】ぶちあたるその壁を突破する方法 #11

→ https://youtu.be/L6tIoyU1yVg?feature=shared


この方は上昇志向の方なのだけれども、AI(はるとくん)が同期してくれたので、紹介。

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